「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」人とのつながりが出来ないことが一番恐ろしい。

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ブレードランナーの原作。「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」を読み終わりました。

この作品を傑作と褒める人とは多いのですが、僕はあまり楽しめませんでした。話の中に、複数の事柄が詰め込まれて、どうにもすっきりと読むことが出来なかったからです。

アンドロイドと人間。荒廃した世界。それに、滅びかけている地球人を、かろうじて結びつけている宗教。はたまた、テレビ。

それらが、入れ替わり立ち替わり浮かび上がっては、話をかき混ぜるので、集中して物語に感情移入することが出来なかった。

くしくも、アンドロイドと人の差が、感情移入できるかどうか。というこの物語の内容を思い出されます。

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ただ、読後感は完全に否定されるものではなく、不思議と惹かれるものがあります。この作品が、取り上げられ長年苦心惨憺しながらも、映画化されたのはそれだけの魅力があったからに違いありません。

アンドロイドとそれを追う賞金稼ぎ。それに、動物がほとんど死滅し荒廃した地球。それだけで、魅力的な題材なのですが、アンドロイドと人間の違いを通し、人間としての存在意味を問う。後年の作家がよく取り上げる題材の原型と言えます。

だから、単なるまとまりのない作品だと、切り捨てることが出来ないでいます。

なんだか、このいいのか悪いのか分からないもやもや感は、映画の「ブレードランナー」とそっくりです。話がまったく違っているのに、同じ印象を受けるとは、不思議な因縁です。

映画との人物設定や関係はかなり変わっています。なんたって、中心的な存在になるデッカードの奥さんは映画では出てきません。

それに、映画では相思相愛になるレイチェル。設定は人間だと思っていたら、それは、疑似記憶で実はアンドロイドだったというのは同じなのですが、かなり印象と内容が変わってきます。

黒髪、細身、少女のような未成熟な体型。そして、デッカードとの肉体関係を積極的に、要求するがそれは思いやる愛情からではなく、自らの目的を果たすための打算的な行動です。

映画では、デッカードを思いやり、愛情を注ぎます。でも、小説ではまったく違い、自分の魅力を武器に利用しようとする。そして、それが成し遂げられないと知ったとき、だからこそ魅力的だとも思うのですが、僕が変なのでしょうか。

アンドロイドと人間の違いは、感情移入だとこの物語では語られています。そのために、反応テストを行い、感情の変化を肉体的変化で測定して、判断します。

考えれば実に不確かな判断方法ですが、人か人でないかの違いを作者は、相手と感情を同じくすることが出来るかどうかが、基準としています。機能的に構造的に人間と違うのではなく、精神的部分での違いを重要とします。

人間でも、人の気持ちが理解できない、その部分の感情が欠如している人がいます。そういう人は確かにいて、話していても共感しないというか、共鳴しないというか、聞いてくれてはいるが、答えてくれてはいるが、なにか違和感を覚えます。

世の中のでは、このような人をサイコパスの部類に入るのでしょうか。相手に対して、感情移入できない、ある種の精神障害を持った人と同じ、精神の習性を持つのがアンドロイドとなっています。

小説の中には、印象的に人間とは違う、アンドロイドの精神的部分が語られています。自己のことを中心として、他者には関心がない。そのために、基本的には徒党を組まない。殺されるにしても、恐怖心がなく、さっさと死ぬことを受け入れて、楽に死ねるように示唆するとか。

この内容があるからこそ、人間とは違う薄気味悪さを感じます。

映画では、この辺の部分がかなり削られていて、人間に差別されて、重労働を強いられている、抑圧された人間の象徴として描かれています。だから、とても彼らに僕たちは感情移入しやすくなってます。

映画では、アンドロイドとしての検査方法で反応テストが行われます。それは小説と同じ設定を残していますが、映画の中のアンドロイドは、人や仲間に対して、実に思いやりがあり、仲間意識を育てて助け合いながら生きています。

それに、アンドロイドのレイチェルは、デッカードを愛し、救い、彼の痛みを自らのもとして感じ、仲間を殺します。これは、感情移入出来ないはずの彼らにはないはずです。

それを考えるに、映画は重要な部分を欠如した状態で、作られたまったく違う作品です。

これがいいのか悪いのかそれは、作品の方向性と質の問題ですから、明確には判断を下せない。でも、個人的には、感情移入。他者や他のものにたいして、心を通わすことが出来ない。精神的な不気味さを持った、アンドロイドの物語も見たかった気もします。

でも、それを作っちゃあ。あの世紀のメロドラマは、そして、今回の「ブレードランナー2049」は作られなかったのですから、いたしかたないと思います。

で、感情移入できないアンドロイド。この「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」に近しいそれは、この間観た、エイリアン「エイリアン・コヴェナント」のアンドロイド「デヴィッド」に近い。

一見、丁寧に適切に人を助けて尽くし、心通わせていると信じさせます。観ている観客も、彼のやさしさに胸を打たれる。が、それは彼の大きな目的のための行為であり、人を感情を通わせて、思いやる行為の結果ではない。

これこそが、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にでてくるアンドロイドです。だからこそ、つながりで築き上げられている人間の世界では、脅威であり、不必要な存在です。

そのために、執拗に彼らアンドロイドを処理する必要がある。

生物学的には人間に近しいものだとしても、社会的につながりれない彼らは、バランスを崩し崩壊させる芽を持っている。

ヒューマンテックに、彼らの苦境に感情移入して、擁護したいという人間のウエットなやさしさと、それに、覆い被さりながら自らの身の生存を確保しようとするアンドロイド。

そして世界は静かに彼らの中に入っていく。

噂では、リドリー・スコット監督は、「ブレードランナー」と「エイリアン」を、同じ世界の物語として、終焉させようとしているようです。

あまりにも、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」に近いアンドロイドの描き方をした、「エイリアン・コヴェナント」。ほんとうに一つの壮大な作品として、人の終わりを描くかもしれません。









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