車嫌いは自動運転の夢を見るか?はたまた運転サポートを望むのか。

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車の運転が楽しくなる運転サポートが欲しい。

僕は運転が嫌いです。恥ずかしい話をすると、車をしょっちゅうぶつけて傷だらけにしているから。

大きな事故はないのですが、バックスして車庫入れしている時、狭いところを切り返ししている時、その他諸々、つまらないところでつまらない事故をしています。

どうも、僕と言う人間は、正真正銘、間が抜けた人間なのでしょう。

間が抜けたとは言い得て妙で、いつもは何気なく、問題なく、車を操作しているのに、なにか、そう気もそぞろな状態になったときに、車の大きさや速度、そして周りの環境が頭から抜け落ちてしまいます。

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特に、慌てている時なんかは、よく間抜けな状態になっています。

後から考えれば、自分でもこんな事を気がつかなかったのか、どうして、こんな判断をしてしまったのか、不思議で仕方がないのです。

だから、自分にとって車を運転すると言うのは、完全な必要悪。

一度も楽しいと感じたことはなく、仕事や生活故に、仕方なく渋々やらなくてはならない行のようなものです。仕事でもなるべく車の必要のない時には、交通機関を使います。二人で行く時には、なんとかして相手に運転させようと画策しています。

正直、こんな厄介で思うに任せない機械など、世の中から消え失せてくれないかと、願っている次第です。

巷では、自動運転の実用化が近い。なんて、話題で盛り上がっています。運転の醍醐味、楽しさなんて皆無の僕にとっては、早く自動運転が誰でも手に入る世の中にならないかと、日々祈っているのですが、現実的にはかなり難しいでしょう。

誰も責任を取りたがらない、日本の社会制度がそれをなるべく伸ばすようにするでしょうし、できれば、無かったことにしたいはずです。

産業的にも、自動運転が本格的になった場合の、変革を耐えられないかもしれない。それ以上に変化に対応して構造を考え直し、再度構築するために核となる存在が、そう簡単には生まれないはず。犠牲をもろともしない責任を、だれが被ってもで行動するのか、これは日本では一番苦手な行為です。

そんなこんな、外圧によってしか、自動運転が本格的に運用されないでしょう。でも、その時には遅すぎるかもしれません。

日本の今後の産業構造や技術水準は置いておき、僕としてはこんな間の抜けた行為の結果生まれる車の傷をなんとかなくしたい。

そこで、自動運転が望み薄ならば、運転サポートに本腰を入れてくれないかなと思っています。

例えば、車庫入れの時に車の角が当たりそうになると、「あたりますよ。1m前に出て、左何度にハンドルを回し、それからまっすぐにして入れなおしてください。」とか、「前に車が止まっています。このままではぶつかるので、右にハンドルを回して、そうそう、これでいい。そしたらまっすぐにして。」なんて、事細かに指示をしてくれるナビみたいなものが欲しいのです。

そうすれば、思い込みでハンドルを切って、ぶつかるなんてころは無くなりそうです。ついでなら、とってもかわいい声だったら嬉しい。

最近では、バックの時にカーナビディスプレイに、バックの様子が出てきますが、どうしたって人の判断で操作しなくてはなりません。僕なんて、僕自身の判断が信用ならないのだから、見せられたって、ぶつけそうで、いや、ぶつけるでしょう。それなら、細かく指示してくれる運転サポートが欲しくて仕方ないのです。

とにかく、走っている時にはさほど不安はないので、狭い曲がり角とか、車庫入れとか、車との対抗とかに、的確に指示してくれる頼れるサポートが是非とも欲しい。どこか、作ってくれないでしょうか。









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