小説家としての世の中での価値と意味「職業としての小説家」その2

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村上春樹氏の「職業としての小説家」を読んでいます。暇があれば、iPhoneをいじっているので、なかなか読み進めませんが、ゆっくりながらも楽しく読んでいます。そう焦らなくても、逃げやしないのでこんな感じで、気が向けば読む。そんな読み方もいいのじゃないかなと感じています。

この本では具体的な小説を書く上での、事柄をあれこれ書いています。それが、自分に当てはまるものなのか、はたまた、彼しかできない特別なものなのか、自分自身で選ばなくてはいけないのは当たり前ですが、一つ一つが感心しまた、考えさせられます。

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小説家は、小説のように重くて、深い人生の経験をする必要があるかないか。そのことを書いていました。

そう言えば、彼の小説は軽い。数多ある陰惨な人生の影を物語の餡子にはせず、一見、というか一読すると、全てがまんじゅうな皮みたいな小説を書きます。

文体のリズム感がとても洗練されていて、それでいてテンポがいい。その、快活な文章の中には、日常生活とさほどかけ離れていない、生活が描かれていく。読むたびに呼吸を整えて、四方八方に考えを巡らせ、心の視神経の痛みに耐える必要がない。

だから、彼の小説の中身を、正論と倫理観で塗られたショベルで掘り起こすと、期待したものは出てこない。それを期待する人には、あっけにとられる結末を迎えてしまいます。

この本でも、彼自身がそのことを語っています。彼も、彼が持つ、彼の文体の持つ軽さを知っています。それは、彼自身の小説家としての出発であり、書こうとしての結末でもあるのですが、重く、深い人間としての経験や、体験から小説を書こうとしていないからです。

彼自身が、彼の人生を振り返り語っていますが、神戸の平凡なサラリーマンの家庭に生まれて、良くも悪くもない成績と、人間環境を手にいれ、人よりはちょっと幸福な人生を送ってきました。

そこには、極貧の中子供の時に命からがら生き延びた。とか、深い傷を心に負うような、いじめや虐待を受けたとか、もちろん、戦場に行ったとかは全くありません。きっと、普通ならばそこそこの名の通った企業に入り、そこそこ出世して同僚から慕われていたでしょう。

世の中には重量級の実体験を小説にして書く人も多くいます。そのことで自分自身を整理して、精神の浄化を、自身にも、他者にも与えてくれる作品はとても必要な存在です。

ただ、そんな重い小説に対して、長続きさせるのは難しいことを、村上氏は語っています。経験をいくつか小説にしてしまうと、自分の引きだからそれが抜け出てしまい、薄まってしまいます。

そのタイプの作家は、若い時には良いとしても、歳を経るほど小説家としては難しくなると、書いています。重かった作品がどんどん軽くなっていく。

重い人生がないのなら、自分の人生にこだわらず、軽い人生をかき集め、身の回りの心に引っかかる出会いを追加して、想像の中で物語を捻出するしかない。ただ、創作物とは言えども、嘘はつけないので、どうしてもある種の人生が映し出されてしまう。軽くなってしまう。

でも、経験の力を借りず、自身の創作の力で書いていく時、それは、より長く深く人の心に残る作品に”重く”変わっていく。ようです。軽いものが、重いものより、”重く”なる。そんなことを書いていました。でも、うろ覚えなんで間違っているかもしれません。興味ある方は必ずちゃんとかって読んでください。

こんな軽いと自分の書いた小説を言っているだけあって、自分の作品のことをよくわかっていらっしゃる。彼の作品はほんと、なんだかスカ・スカっとします。そりゃ、実体験や似た体験で書かれた重量級の作品の方が、痛々しい文章で心臓の中心を串刺しにします。僕はドラキュラかってぐらいに。

この辺が、世の文芸批評家や文壇界の大御所など、文章で数多の経験と実勢を積んできた人から、毛虫のように嫌われる原因なんでしょう。

芸術として、人類の数多の感情を高く昇華させ、どす黒く胸を打つ、もしくは、七色に発光させて清らかな白昼夢を見させるなんて、考えていない。というか諦めています。

これは僕個人の身勝手な思いつきなんですが、何か心に鎮座している塊を、整理整頓、できれば掃除する方法を探していたら、目の前に紙とペンがあったから小説を書いた。と、小説を書くために紙とペンを用意した。その差ではないかなと。

村上氏は平凡な人生で問題なかったというか、書く動機にできなかった。彼の動機は、小説を書くことが一番で、書くための題材は二の次。書くための題材は、どこからか湧いてこさせればいい。まずは、書いたいという自発的欲望から出発しています。

彼は文章創作品以外に、様々な素材を貪欲に取り入れています。特に音楽は彼の文書を作る上で、とても重要だったようです。文体の流れや、テンポを作る上で、ジャズがとても参考になったと書いています。

また、小説を書くために、身の回りに起こることを、細かく見ることを勧めています。ただ、彼の場合、メモはとりません。書いてしまうと忘れてしまうのと、書かないと忘れてしまう出来事は大したことがないからと書いています。この辺はメモ魔と言われる人からは、賛否がありそうですけど。

こんな感じで、社会や人間、はたまた組織に対する、具体的な渇望や要求を伝えるためではなく、書くために書きたいために、書き続けている彼の小説は、とても、自由でつかみどころがなく、心地よく流れ、そして、読後になんだかよくわからないけど、感動します。

じゃ、本の中から著者はどんな社会的メッセージを伝え、それを受けて君はどう変わるべきなのかなんて言われると、なんじゃそりゃ、この小説そんなこと言っていたっけ?なんて、一気にわからなくなるんですが。

なんだか、よくわからないのですが、心には残るし、気持ちがいいんです。

中身がなくて、”軽い”はずなのに、深く心に残り、また読みたくなってしまう。その原因がこのエッセイから、少し見えた気がします。何よりも、職業として小説家を選んだ彼が、真摯な姿勢で小説を書く、そのことを取り組んでいることに、ほとほと感心いたしました。

まだ、なんか書こうと思っていましたが、忘れてしまったのと、キリがいいのでこの辺で。








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