ジム・ジャーミッシュ監督の「パターソン」を観る。

前から気になっていた映画でした。Amazonプライムビデオで配信されていたので、ダウンロードして先ほど観終わりました。

アメリカの田舎町のバス運転手の、大した事も無い1週間の物語。

ジャーミッシュらしい、平凡で一風変わった生活を描いています。ささやかな事件、ほのかな笑い、退屈な物語。

主人公はこよなく詩を愛し、自らも詩を書く、薄給のバス運転手。中東系の妻をこの上なく愛し、彼女に振り回され、言いたいことも言えず、戸惑いながらも、生活を楽しんでいる。

彼を見ながら、こんな人こそ創作者であると思った。

誰のためでもなく、(一応妻のために書いているけど)誰に認められる事を望まず、自分の中から湧き出てくる創作への意欲をそのまま素直に形にしている。

何かを創作する、表現する、それは必然的に社会から認められたいという自己承認欲求に結びつきます。阻害されていた人生を送って来た人が、自分の特異な才能を駆使し、表現者として存在を目立たせるために努力をする話は多々あります。

主人公は、妻から再三、詩を世の中に出すようにと言われても、頑なにそれを拒否し、(実際はあやふやにはぐらかし)自分の中だけで、押し留めています。それが、気弱さなのか、理想が高すぎるせいなのか、わかりません。

正直、恥ずかしながら僕は彼とは違い、自分の創作したものを、不完全であろがなかろうが、一か八か、撲滅覚悟でポロポロに世の中に放出してしまいます。

それは確実に、僕という人間は、現実的な世界では大した結果を残すことなく、人生を終わろうとしている事実を突きつけられ、せめてもの蜘蛛の糸として創作物を作っているところがあります。否定できない事実です。

創作者、芸術家、その他通常の仕事でも、彼のような人はいます。

彼らを見ていると、本当に創作物を愛しているんだなあ。と、無条件に尊敬し、反面、ある種の腹立たしさも感じてしまいます。才能があれば、それを社会に胸を張って出すことが、責務ではないかなとも感じてしまいます。

こうなると、画家と画商、監督とプロデューサー、音楽家とオペラ劇場支配人などの創作と商売という永遠の問題になるのでしょう。

面白いのが、彼とは対照的に彼の妻は、とにかく思いついたら手を出してしまうタイプ。彼女がプロデューサーになれば、結構、いい線行くのではないかなとニヤニヤ観ていました。

どこかに、特に人間に変な部分を放り込んでくるのが、ジャーミッシュ監督の面白く、愛しいところ。この映画でも双子がひたすら出て来ます。なんか意味があるのかもしれませんが、読解力の無い僕は意味が分かりませんでした。

面白いのが、バスの中での客同士の本当にくだらない世間話。

それに聞き耳を立てながら、バス運転手の主人公がニヤニヤしているのを観ながら、それを観ている僕もニヤニヤ。この辺のずらした笑いはとても好きです。

あと最後、あることがあって意気消沈した主人公が、いつもいく公園でばったり合うのが、永瀬正敏。

詩が好きな日本人。主人公に声をかけて、詩の話をし、ノートをプレゼントし、彼の心をもう一度詩に向かわせる。大切で貴重な役柄。彼らしい、いい役でした。

初めはのんびりしすぎていて、途中で切ってしまうかもと思っていましたが、流れに馴染んでくると、とても収まりが良く、心地いく、最後まで楽しめました。

気持ちと、時間に余裕がある時に、ゆっくりと楽しみたい映画です。

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