「雪国」へ二度目の旅をする。深まる疑問と愛情

「雪国」のような日々

最近真冬のような寒さが続いていて、本当にまいっています。家の中がとても寒くて、だけど暖房機器は全て片付けた後なので、震えながら過ごしています。

あんまり寒いので、押し入れからセーターを引っ張り出して着ています。だけど、押し入れに片付けていたセーターを出されて、妻はお冠です。しかたないじゃありませんか、こんなにも寒いのですから。

このまま、永遠に日本には夏が訪れず、氷河期になってしまうのかもしれないと、戦々恐々としています。

深まる理解できない「雪国」の中

そんな、「雪国」のような気候の中、「雪国」を読み終わりました。

これで二度目、前よりも分かった部分もあったし、分からないことが分かったところもありました。

少し前にも書きましたが、訪れた温泉街中で出会った、男一人と女二人、彼らの日々を映したドキュメンタリーのような物語です。

ドキュメンタリー、それもインタビューなどない、車窓から映された流れる風景や、町並みをただ撮り続けているような作品。(そういえば冒頭のシーンは車窓でした)よくよく目を凝らさないと過ぎ去ってしまう、心の吐露が、愛情の行く末が、とても分かりづらい。

全てを理解して腑に落ちることなど全くなく、二度目によくよく確かめながら読んだのに、わからない。よりいっそう分からない部分が浮かび上がる。

それでも、強く惹かれてしまうのが、歴史に残ると言うことでしょうか。原因が、文章の巧みさなのか、登場人物の確かな描写ゆえなのか、全く分かりはしません。

安易な理解や感情移入を良しとせず、なるべく放した場所から愛憎を俯瞰することで、見えてくる人の性を描いているのか、したり顔で語ってみても自信は生まれない。

人の感情表現の濃厚さや、微熱を信ぜず、表現から取り除き、厚いガラスの容器の外側から人の営みを見る。昔のユダヤ系映画監督の作品と似通っている。かもしれない。

正直のところ、さっきも書きましたが、全く腑に落ちない。だからこそ、何か隠されているかもしれないという、期待。それが、強く深くこの作品を魅惑的に輝かせている原因と、読解力のない僕は、自分を納得させようとしています。

印象的で愛すべき人々

分からないわからないと、身もふたもないことを書いていますが、二度目ともなると、登場人物に愛着が湧かないはずがありません。ましてや、確かな人物描写が命の文学作品なのですから。

主要な登場人物の二人の女性。駒子と葉子。

魅力的に個性的に描かれているこの二人の女性は、対照的であるがどちらも強く惹かれてしまう。

駒子は情熱的で人懐っこく、猫の様に気まぐれ。それでいて多感な感性を内に持ち、人生の喜怒哀楽の経験を秘めながら、素直な愛情を糧として生きようとしている。

もう一人、葉子。一途に愛を投入し、潔癖な性質は余裕を捨て、それが深い洞察力と重なり合って、切れる程強く輝く美しい瞳になっている。また、彼女の声は切なく美しく、瞳が彼女の怒りや潔癖を放っているのとは対照に、彼女の声は哀しさ、哀れみを宿して空に舞っている。

いつも出会い何気ない会話や、取り止めのない愛情を交わすなら、駒子。でも、近寄り難く、近寄れたとしても、常に痛々しさを体と心に感じざるを得ない葉子の方が、惹かれてしまう、僕は。

二人に比べて、驚くほど主人公の男は、何もない。空虚というか、無色透明というか、振り返ると感情も湧かなければ、存在を意識することは無かった。ただ、物語が彼のせいで希薄になったのかというとそうではなく、無色透明な無意な男のおかげで、二人の女性が引き立っていた。そう感じます。

いろんな人々と関わり合う物語ですが、基本的にはこの三人に集中したことで、単調で流れやすい物語の均衡を見事に保っていました。

終焉に向けて疑問が積もる

さて、話は本当に唐突に意味不明に怒涛の如く、突如として終焉を迎えます。

最後の数ページの物語の展開が、これが本当に分からない。解せない。

男が、もう駒子と別れて東京へ帰らなきゃ、男と女の関係を解消するために。だけど、踏ん切りが付かずに、予行演習とばかりにフラフラと小旅行に出て、駒子のいない場所に行く。

ひとしきり逃避行を続け、結局は温泉街に舞い戻る。なんとも優柔不断な。

そして、案の定駒子が宿に訪れる。その時に、これが分からないのですね。

男が何気なく「いい女」と駒子に言う。

無論、悪口でもなければ、卑下してもいない。それなのに、それを聞いた駒子が突然起こり始めて、涙を流す。これだけのことでどうしてこんなに泣き喚く。

ここが、今ひとつピンとこなくて、悪い癖で色々検索をしてしましました。なるほどと言う回答もいくつかあり、この辺だろうなとは想うのですが、どうも自分の中では分かっていない。

関西弁では「え〜女」こう書けばえらいすけべな感じになります。すけべ女としてなじられたと怒ったのやろか。それに彼との関係は何年にもなっているから、それがいい意味なのか、悪いことなのか、人がらでわかるはずなのですが。僕は、どうしても男が女性を無闇に卑下する人の様に思えない。

それなのに、長年心身とも付き合った彼女が理解できないわけが無い、本当に不可解です。

それと、最後の山場。映画上映会が開かれていた建物が、火事になる。葉子が火事で燃え盛る建物の二階から落ちていく場面があります。そのときの姿に現実味が無く、絵画の様に静かに、水平に落ちていく。地面に落ちた時にわずかな痙攣。

ここが、どうも非現実的でぴったりきません。

その後、駒子が助けに駆け寄り、慟哭しながら「気がちがう」と叫び物語が終わります。

最後の締めとなる場面ですが、どうにもこうにも、分からないのが本当のところです。夜の雪国、空は澄み渡り、星は無限の輝きに満たされ、地表では赤々と炎が舞い上がり、人それぞれの想いが赤裸々になる。この場面が重要な美しさを持っているには違いない。

これは、そのうち三回目を読まなくてはいけないようです。

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