創作活動をどうしてするのか。人はパンだけじゃ生きられない?

ちょいといけませんね、どうにもこうにもさぼり癖ってやつですかね。やる気が起きなくて困っています。

特にこうして創作活動なんてのは、まるっきり、やる気が起きなくて。どうも、気がすすみません。そりゃそうでしょう。誰に言われるわけでもなくて、誰かの為にもならなくて、自分勝手にしているのですから、世の中の迷惑ぐらいにしかなりません。

それでも、なぜだか書かなかきゃ、撮らなきゃなんて体が勝手に動くのは、これは病気みたいなものなんですかね。厄介なもんです。

天才でも、凡才でも、下手の横好きでも、何かをやろうってことは、その出発は、誰に言われるわけでもなくて、自分勝手なものなんです。

それが、たまたま運が良くて、器用で、合っていた。それで、大先生になれたり、人によっては大金持ちになったりする。ですけど、下手だと笑われて、スカンピンの貧乏道楽人と、対して中身は変わらないのです。

何かやりたいなあ、これを創りたいなあ。なんて、何か美しいものを創り出したい気持ちや働きは貴賎なしなんでしょう。

ああでも、人の世には実入が無いと生きていけません。生きる価値もない。まともに住むとこがなくて、おまんまが食べられない、しょっちゅうボロばかりなんて、みるからに哀れ。到底真っ当な人間として表彰状を上げられない。

だから、やっぱり、つまりのところ創作活動に貴賎なしといえども、人には貴賎ありなんですから、身を持ち崩すほどにのめり込んじゃいけない。ましてや、才も運も金もないのに、美だ創造だなんて言える立場じゃないってことなんです。

そんな暇があったら、田舎にこもって畑で大根でも作っていた方が、よっぽど創作的ってやつなんです。お米や野菜を作ることは大切な、それこそ、何よりも重要な創作活動なんですから。

日頃からウンウンと頭を悩ませて考え続けている、人様に影響を与える創作、芸術活動。その価値よりも、お椀にもられたご飯の方がよっぽど価値があるんですから。

腹が減っては生きることなんて、不可能なのです。昔、えらい方がこう言いました。「人はパンのみで生きるにあらず」そう、パンのみ。これ、パンはやっぱり食べないと生きていけないってことなんです。生きるのにパンを食べているけど、それだけじゃないよと言うこと。

と言うことは、やっぱりパンは必要なのです。生きるための一部。

そして、パンだけでも生きることはできる。と言うこと。それだと、あまりにも人生がガツガツして殺風景だから、物ばかりだけじゃなくて、愛なんてものもいいんじゃないと言う、えらい人の教え。

いったい何を言っていたのやら、なんだか訳が分からなくなってきました。

人はなぜパンだけ食べていりゃいいのに、それ以外を望むのか、大切だと感じるのか、そして、創ろうとするのか。なぜに人は生命維持以外のことにご熱心になるのか。これぞ人の不可解なところ。

それにして、最後の締めを考えていたら、家人が煩く声をかけてきて、それに返答をしなくてはならなくなってしまった。気がとられて頭が回らない。本当に、最後のいいところだったのに、何かいい言葉の一つでも出てきそうだったのに、不意にしてしまった。

かくも、創作活動というのは人の世から邪魔が入る。これは、余計なことにうつつをぬかすなという、えらい神様からのお言葉なのでしょうか。

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