男は一生ものが大好き!それなのに、流れる雲のように変わるApple Watchが気にかかる

一生ものに憧れる

一生ものというのは憧れますよね。男ならそんな一生ものを手に入れたくなる。タフで確かでカッコが良い人生を共にするものたち。

“ホンモノ“とか言うのでしょうそれらを。

高価だったり、希少だったりして、手に入れるときには四苦八苦するけど、一度手にしたら裏切らない使い勝手を与えてくれる。

高級な海外万年筆だったり、こだわりの自動車やバイク、それにカメラなどなど、高級品を扱っているセグゼクティブ御用達の雑誌でよく紹介されています。





便利なデジタル化で少なくなった

でも、良くも悪くもデジタル化がここまで広まり、もれなく便利になってしまうと、こだわりの一生ものを、わざわざ手にする事なんて少なくなりました。

カメラなんて、デジタル化になってから数年で機能や性能が飛躍的に向上し、古い機種など見向きもされなくなります。銀塩時代のようにメンテをしながら、孫子の時代まで受け継ぐなんて、古き良き伝説になってしまったのです。

間違いなく便利になって、多くのことがびっくりするぐらい素晴らしくできるようになった反面、じわじわと確かめながら付き合いながら、共に育っていくことは少なくなりました。別に昔が懐かしく素晴らしいなどと言う気は無いのだけど、ほんの少しの寂しさはあります。





時計はまだまだと思っていた

その中でも、時計はまだまだ一生ものって感覚が残っていました。

時計は一度買ったら、何年も何十年も変わらず使う事ができます。空気のように自分の左手首にあって、時間を確認するだけでない、特別な存在、自分の体の一部のような感覚になっています。

だから、Apple Watchが出たときには、どれほどApple信者の僕であろうと、心は動かされない!そう、心に誓っていたのでした。





Apple信者の悲しさで

それが、それが、最近のあまりにも痒いところに手がとどく、機能の豊かさに心が引かれて仕方がないのです。時計として僕の信条とはかけ離れたものなのに。

たかが、数年ちょいで新しいのが発売され、もれなく魅惑的な機能が追加され、今までのものが途端に薄汚れた過去に放り出されてしまう。そんな、事がどうして許されようか。時計が作り出されたその意味は、常に変わらず人と寄り添うことではなかったか!

と心の一部で声高に非難の声が上がってはいるものの、Apple信者の悲しさか最近の僕は、Apple Watchが付与してくれる恩寵に、身悶えするほど憧れを持っているのです。

iPhoneと連携し、メールやラインを読み、電話を受け、AirPodsで会話し、健康管理のため心拍数や運動量を確認する。iPhone、AirPods、そしてApple Watch。この、Appleの三種の神器を手に入れなければ、人生の新たな扉は開かないのだ。

こんな想いが、雷雲の如くむくむくと湧き上がっているのです。

5万円も出せば、電波時計でソーラー発電。おまけにタフでカッコ良い一生ものの時計が手に入るのに、心はどんどん、空を漂い流れる雲のように儚く形を変えていくApple Watchに引き込まれているのです。

 

 

 

 

 



 

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