もう終わらせよう、フルサイズ狂想曲。残り少ない人生がまるっきり変わってしまったフルサイズの衝撃と畏怖。iPhoneおも破壊してしまうかも。
楽しくて時間を忘れてしまうほど
α7IIとSIGMA45mmで写真を撮るのが楽しくて、ちょっと散歩と外に出たら、そのまま3時間もほっつき歩いて写真を撮り続けてしまった。
クタクタで体が動かない。現像をしようと思ったけど、Macの前で写真をいじっていたら、気がついたらうとうとしてできそうも無い。完全に諦めて、またの機会にすることに。
本来ならばサブカメラだったα7II
それにしても、本当はα7IIはついでのサブカメラとして買った。とりあえず小金ができたので、写真が趣味としているからには、一生に一度はフルサイズカメラを手に取ってみなくては、死んでも死に切れない(なんや大袈裟やなあ)と、できるだけ安くてそれでいてちゃんと写真(動画は諦めた)が撮れるカメラを買うことにした。
それが、前にも書いたNikonのD750と散々迷い手に入れたSONYα7II。そして、SIGMA 45mm。
それで、メインカメラとして何を買おうと思っていたかというと、これ冗談でも気がふれた訳でもなく、iPhone12 ProMaxだった。
本気も本気。自分の撮影スタイルにもピッタリ。今、iPhoneXRを使っているが、それで撮る写真が、キレキレ、文句なし色表現、何よりも常に持ち歩け(携帯だから常に持ち歩かなければならないという現実もあり)、下手なカメラ以上にバッテリーが持つ。(α7IIなど小一時間も持たへん)
正直、α7IIを買うまでは、旅先(仕事で出張先の合間を縫って)の写真はもっぱらiPhoneでブラブラ歩きのスナップ撮影を楽しんでいた。
その時は、もうカメラはいらんかもしれん。これだけiPhoneで絵作りができるんやったら、高い重いデカいカメラなんぞ博物館に奉納し、我が写真機はiPhone一択に決定してしまうのもええかもしれへん。(ついネイティブなので出てしまう)
フルサイズへの憧れという値札
目的は創造性を満足させる写真を得られればいいし、そのためのあくまでも道具が欲しいだけなのだから。
ただ、なんというか過去のしがらみがやっぱり心ん中に引っ付いていて、完全にiPhoneだけというわけにはいかなかった。
長い間、カメラというのが自分の中の、大きな部分を占めている機械だったし、頭の片隅には憧れという値札をつけたまま、置いて置かれている。いつか、その値札を剥ぎ取って、自分の両手で堪能したい妄想と願望があった。
でも、今の世の中、特に僕のように時折思い出したように写真欲が噴出し、数枚撮る。その程度の写真愛好家には、iPhoneで十分。それに、NikonのAPS-C機であるD7200を使っていたが、撮り用によってはiPhone、D7200双方の違いは少なかった。
確かにAPS-Cの絵とiPhoneの絵違いはある。見ると確かにAPS-Cの絵は一つ上。素子の大きさは質に比例する。でも、画像をソフトで高度に補正したiPhoneの絵も成熟の度を増してきた。
写真を撮れる機会の多さはiPhoneが多い。それを加えて比較すると、甲乙つけがたくなっている。
それに、フルサイズがどれほど素晴らしいと言っても、想像の範囲ではAPS-Cのちょい上ぐらいではないか。などと、小さく評価していた僕がいた。
ただ、こうして目の前に小金があると、一生涯手に入れることは叶わないだろうと、信じて疑わなかったフルサイズのそれもミラーレス一眼が手に入る、その事実を否定しようもなく、さりとて本命のiPhone 12 Pro Maxを捨てる勇気も無く、折衷案としてフルサイズが買える最低ラインの金額で物色し、α7IIと45mmをあれこれ迷いあぐねた末、手の中へ。
フルサイズを経験せずして死ねない
フルサイズ何するものぞ。そんな声が成長著しいカメラ業界ではこの数年高まってきている。APS-Cでも素晴らしい絵は出せる。それにそれより小さいマイクロフォーサイズをメインに張っているところもある。富士フィルムやオリンパスなどが。
だから、さほどフルサイズには期待していなかった。とにかく、人生は経験だ。残り少ない人生で、経験せずともさほど影響はないだろうけど、腐ってもフルサイズ。写真を趣味としている人間としては、一つの到達点。
どうれ、経験しないで死ぬよりも、何事も経験してこんなもんやったんかと、がっかりして死ぬほうが価値がある。と、ポチったのだ。
フルサイズの世界は人生を変えた衝撃と畏怖
数日後。届いた。開いた。撮った。驚いた。
全く別の世界に足を踏み込んだ。フルサイズの世界は人生を変えてしまうほどの衝撃と畏怖を与えた。
絵の立体感。滑らかで艶やかな表現。風景の空気まで写し撮る奥深さ。何より目の前の精細な世界。どれをとっても、今まで撮り続け、見続けた、写真とは違う次元の感動を与えてくれた。
こんなにも違う世界があったとは。今まで写真を愛し、無数のシャッターを切った。世界をめぐることは無理だったけど、日本中を撮り歩いた。その中で、十分満足した経験を得たつもりだった。でも、それらがいっぺんに楽しい余暇の暇潰しの範疇になった。
創造性を練り上げて、目の前の現実を、創作品として美しさを削り出す。それが、行える招待状を得ることができた、事実を興奮と共に感謝している。
ただただ煉獄は続く
ただ、それゆえに新しい煉獄が続く。
未来への欲望が限りない。困った。45mmのみと割り切って使うつもりが、次のレンズを知らず知らずに物色している。質の良い小三元の標準ズームか、はたまた中望遠のレンズ。特にSIGMA65mmは魅惑的。
何よりも、次のカメラとしてα7Ⅲに物欲が掻き立てられている。評判高いカメラ、高価ゆえに諦めたカメラ。ただ、このカメラを手に入れることができるなら、少なくとも一つの段階として終止符を打つことができる。
それほど、完成されたカメラ。
こんなことを頭で咀嚼し反芻している。気がつけば、完全に心の中で主役となっている。iPhoneがその座を落ちることはないが、脅かされている。
今一本、レンズを手に入れる。すなわち、あれほど憧れ焦燥に駆られ欲していたiPhoneを見捨てることになる。iPhoneはカメラ以外に数多くの現実的な恩賜を与えてくれる確実に。
だからこそ、今、この機会にどうしても手に入れておく必要がある。
が、心の中で日増しに影が薄くなり、本物と臆面もなく言えるフルサイズカメラから吐き出される絵への愛憎が高まって濃くなってきている。全てを捨ててまでも、より完成させいと願っている。
ただ、現実を受け止める分別のある正しい大人として、一旦はこのフルサイズ狂想曲を終わらせたいと願っている。(そうなるかどうかは未知なのだけど)