凡庸雑記「蕎麦」

蕎麦と日本

日本人なら蕎麦。世界の常識だと思う。

よく、ドラマや映画で、日本に戻ってきて蕎麦を啜りながら、日本人で良かった。と、歓喜を上げる場面がある。(と思う。)

それに、年越しには年越し蕎麦を食べることが、当たり前のように、全国民の常識になっているのも、そうだ。

うどんで生きる

ただ、違う人間も日本の中にはいて。食べてじんわりと、しっくりと、くるのは、僕はやっぱりうどんだ。

四国出身のためか、麺といえばうどん。安くて、美味くて、五百円もあれば、腹がはち切れるほど食べられる。生活に寄り添っていた麺はこちらの方だ。

もちろん、蕎麦は美味しい。これは間違いない事実。否定する暴挙はしない。

遠い異国の美味

ただ、僕としては、遠い異国のイタリアのパスタと同じように、人生とはそれほど近しくない、とても美味しい未知の食べ物。のような気がする。

食べるたびに、うまいなあとうなずくのだけど、五臓六腑が親しげに咀嚼して、微笑んで生きた日々を思い出す。そんな感覚は無い。

人生の機微の記憶

それが、うどんとなると、生きてきたんだなぁ。と、安心とも親しみとも言えるような人生の機微を胃袋で実感する。

胃の中に入ると、身体にしっくりと収まり、満腹感が気持ちを少しだけ引き上げる。ささやかで懐かしい楽園が、今ここにあるよろこび。

蕎麦で迎える未来

よく、映画やドラマなどで表現される、標準的な日本人は、きっと、蕎麦をこんな気持ちで抱きしめるのだろう。

個人的には理解できないだろうけど。

こんなことを書きながら、きっと、今年の大晦日は標準的日本人になって、満足げに、とてもうまそうに、蕎麦をきっと食べるのだろう。

そして、日本中の明るい未来を願う思いと共に、新年を迎入れるに違いない。今からとても楽しみだ。



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