凡庸雑記「未来」写真機の未来はどうなんだ?

とうとう出現M11

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

ライカM11が発表された。変わらないことが、どれだけ心地よいのか、賞賛されるのか、教えてくれる超高級写真機

変わらないと言っても、外観のみで中身はかなり刷新された。今かな改良は、ガジェット系の方々に任せるとして、個人的に面白いと思ったことを。

今回、目玉なのが6000万画素という高画素。手ぶれ機能もないのに、神経質な高画素を載せてくるとは、流石に無茶振りライカ。最高の画質を与えてやるから、しっかり手綱を握って、乗りこなせよ。と、清々しい意気込みを感じる。

気の利いたホールドがないのっぺりとしたボディを、ライカ持ちでしっかり支え、脇を絞めて、指先から力を抜いて、息を止め、シャッターを切る。写真撮影の王道と言えるスタイルを貫かなくてはならない。

老いさらばえた昔気質の写真家気取りには、たまらなく刺激的な写真機だ。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

変わらぬライカに未来を見る

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

で、そんなマゾヒステックな部分ではなく、この写真機で興味惹かれたのは、この写真機の記事を読み、ライカのみならず写真機全ての未来を感じたからだ。

M11は高画素の6000万画素を使ったクロップ撮影を全面的に押し出している。一本のレンズをクロップさせることで、複数の画角を使用できる。この画素ならば、クロップして画素が落ちたとしても、そんじょそこらのミラーレス一眼に負けず劣らずの描写が可能。

それに、たった一本のレンズと言っても、泣く子も黙るライカレンズ。一本で100万なんてのもある。アポズミクロンなんかそう。(田畑売って買いたくなる)

値段が高いということは、徹底的にレンズの品質を上げている。ガラスの成分は言わずもがな、重要な組み立て精度も完全に真っ芯を捉えるまで、際限なく繰り返される。(そんな話を聞いたことがある。他のメーカーの既製品はある程度の範囲を設けているのでレンズにばらつきが生まれるとのこと)

そんな、工芸品か芸術品のようなレンズだから、クロップしようが何しようが、描写がぴくりとも揺るがない。

初めは多少(多しかないが)高くとも、クロップで複数レンズを持っている程で使えるのなら、全然全くお得としか言いようもない。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

清く、潔く、正しく、一本で美しく

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

ズームがないとは言わないが、ほとんど抹消されて無かったことになっているライカのズーム。M型ライカを買って、嘘をついたピノキオの鼻の如くのズームなんて、全くもって美しくない。長いは、でかいは、太いは、伸びるは、この言葉が賞賛される体の部位もあるが(?!)、ライカには醜悪な呪いの言葉。

なんと言っても、ライカは清く、潔く、正しく、単焦点一本が美しい。

だからか、50mm、35mm時々28mmをつけっぱなしで、撮り続けている腕の立つプロフェッショナルを耳に、目にする。

レンズ一本でも、画角を変えて多彩な表現が手に入るクロップ機能は、ライカにとって、必然的な対応に違いない。少ない本数のレンズを大切に使っている愛好家には、とても便利で魅力的な機能ではないか。たぶん、きっと。

でもまあ、クロップで撮影なんてライカの風上にも置けないと一蹴してしまう、コンクリートでも割れる石頭の愛好家も多々いるかも。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

写真機の未来

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

そこで、写真機の未来にぶち当たるのだけど、これからどんどん高画素になり、高感度になり、きっとなるだろうけど。そうなると、もう、ズームは必要なくなるかもしれない。

これは僕の思いつきではなく、どこかの雑誌の受け売りだけど、品質の良い広角レンズが一本あれば、それをクロップでどんどんデジタルズームして、標準域ぐらいはまかなってしまう。なんて、ことになるかもしれない。

どんなに、小さいズームだとしても、工学的にレンズを組み合わせて、作り上げられているから、それなりの大きさが必要になる。それに、機能的にも複雑なので、価格が高くなり、壊れやすくもなる。

だからこそ、どのメーカーも主力製品として、高性能なズームに力を入れ、より描写力を高く、堅牢に組み立て、使い勝手を良くし、その代わりとして価格を上げて、プロからアマチュアまで幅広く提供している。

代表格の大三元ズームレンズはドル箱だし、メーカーの技術力の証明でもある。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

巨大レンズの時代は滅びる

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

そんな、巨大レンズ全盛時代が、数年後には消えて無くなってしまうかもしれない。恐竜のように。はたまた、大戦艦至上主義の中生まれた戦艦大和のように。

ズームよりはるかに小さく、安く、機構的に単純な単焦点一本で、大三元と同じ描写が手に入れば、こぞって興味を持つに違いない。実用的とならば、嵩張るズームを捨てて、清く単焦点で行こう!と、ガジェット系トレンド雑誌の表にデカデカと出るだろう。

そんなことになれば、金無し、腕なし、甲斐性なしの僕なんて、涙もんで期待いっぱい胸を膨らませてしまう。きっと。

なんたって、欲しくても手に入らない数多のレンズに指を加えてただ見ているだけの身としては、俗に言うレンズ沼から人類はようやく脱したという偉業の恩賜を、最前列でふんだんに浴びることができるのだから。

何にも考えず、たとえばNikon Z 35mm f1.8をポチッとすれば、あら不思議。35から70ぐらいの標準ズームが手に入る。何十万も何万もしてたのが、数万でいいのだから、歓喜で飛び上がるのは間違いない。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

そして最後はライカが残る?

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

本気でクロップ機能でやっていこうというのは、ライカかGRのリコーか、もしかしたら気の迷いと新し物好きの性で、シグマがやっちゃうかもしれない。

今や、どのメーカーもレンズで飯を食っているので、(Nikonなんかは早々とカメラを諦め、海外生産に移転。レンズで儲けることを主軸にしている)技術的に確実だとしても、必死に目が向かないように煙幕をはるかもしれない。

でも、コンデジがスマホに代わってように、日進月歩で写真機の世界は変わっていく。日本のメーカーがやらないなら、海外のどこかのメーカーがレンズ一本を出して、クロップで広角から望遠まで0Kというのを出すだろう。

それから、慌てて走り出しても間に合わないかもしれない。

老婆心だけど、もしかしたら、その時には写真機というものは博物館のガラスの中しかなかったりするかもしれない。

そうなると、カリスマ性の高いM型と、伝説になるほどの超が付く高性能な単焦点レンズを持っているライカが、一周も二周も回って、トップに立っているかもしれない。

なんたって、世の中から大三元が無くなっても、はなから持っていないライカは痛くも痒くもないのだから。

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mm f/4S

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