凡庸雑記「無造作」★Appleとライカを無慈悲に無造作に目的のために道具として使いたい憧れについて

大切なものを大切に

大切に“大切な”モノを使うことは、大切なことだ。

僕の場合、Apple信者なのでApple製品はとても大切に使っている。iPhoneやiPadには使う前にケースとフィルムを、それも、必ず「耐衝撃」とうたっている製品を購入し、用意して待ち構え、まずは装着の儀式を行ってから使っている。

これは、大切なカメラも然り、なるべく傷が付かぬように、衝撃を与えぬように気を遣いながら日々使っている。

ただし、純粋に愛するモノを愛おしむ“博愛”精神åなどではなく、手放したとき多少でも販売金額が上がるための企みも、多分に含まれているのだけど。

それでも、愛おしさを、美しさを保つことであらわすのは、至極真っ当な生活の一部に違いない。

愛しているものを無造作に

が、その真逆の思いに囚われてもいる。

愛しているモノを、あえて無造作に使うことに憧れてしまうのだ。

ある時、数年前、仕事の都合で羽田空港にいた。手荷物検査と、金属探知機を無事終えて、バラバラになった小物たちをかき集めて、何気なく検査を終えて出てくる人々を眺めていた。

いかにも絵に描いたような業界人風のおじさんが、慌てながら探知機から飛び出していた。

同時に検査を終えた荷物がコンベアーで運ばれてくる。その中に、ケースを付けず剥き出しのiPadがあった。遠目でもかなり使い込まれたそのiPadを、無造作にカバンに放り込んで、足早に過ぎ去った。

当時、まだiPadは珍しい部類の最新のガジェットだった。手の持っているだけで、女性のたくさんいるお店ならば、モテるための強力な魔法を発揮していただろう。(全くの架空の空想話)

無造作に無慈悲に仕える精神と財政

僕のような、少々なことで即座に生きてゆけないと泣き叫ぶような小心な人間ならば、どうしたって、イカゲームか、斬新な拷問としか言えないような、傷のつきやすく、美しい、金属面を取り入れたAppleの陰謀にハマって、傷ひとつで人生を棒に振ること確実である。

だから、手間暇かける愛玩品としでなく、無造作に無慈悲に道具として使い倒すことができる。精神と財政の広大な余裕を、ほんとうに、ほんとうに、憧れてしまう。

例えば、YouTubeやTVなどを観ていると、時折、業界人か音楽家か、怪しいベンチャーのCEOか、はたまた訳のわからんクリエイターなどが、何十万もしているだろうMacBook Pro に、無造作に小汚いステッカーを貼り、ぶつけただろう傷を誇らしく追加していたりする。

美しく貴重で、真っ当な社会人など絶対買うことも、買う気にもならないだろうMacを、その辺の路傍の石か、道具箱の底に沈んでいるスパナやペンチのように、好き勝手に使っていることが、愛憎合わせた複雑な心持ちで憧れの視線を向けてしまう。

創造を永遠をに共にする

ここで、もう一つ浮かんで来たのが、カメラそれは「ライカ」

ライカ雑誌を読んでいると、数多の写真家たちが一応に塗装の剥げた、多少凹んだライカを誇らしく、首からかけ、手に包んで愛でている。

角がすっかり剥げて、中の無垢の金属面が現れている。それを見ていると、どれだけ抜き差しならない場面で、確かな写真を写してきたのだろうと、遠い風景に思いを馳せる。

ボロボロになってはいるが、無頓着な無神経な扱いではなく、共に創造の極みに辿り着こうという信頼と、全ての出来事を永遠に共にしようとする覚悟を感じる。

清さと財力が欲しい

程度の良いうちに、手放してしまおうなんて、まさに浅はか極めれり愚かな考えに侵食されている僕にとって、憧れと悔恨が同時に降り注ぎ、今まさに押しつぶされようとしている心持ちである。

いろいろ書いて、自分でも迷子になりそうなので、まとめると、大切で貴重なものを、所詮人が使う道具としてボロボロになることを全く気にせず、道具としての造られた良さを活かし切る。そんな、潔さと財力が欲しいという雑記。

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