
凡庸雑記「Watch、Appleのやつ」どうしてApple信者なのにいまだに買えないのか?あの時計を。
Apple Watch
Apple Watchが欲しい。ずっとそう思っている。
あるとかなり便利やろなあ。と、日々思い出すたびに反芻している。
なにせ、身の回りはAppleだらけ。お互いが手を繋ぎ合って、人の生活をより便利に押し上げてくれることを、それは、それは、熱心におせっかいしてくれるのが、Appleの製品の素晴らしいところ。
MacにiPad、iPhone。おまけにAirPods Proほぼ全方位的にカバーしていて、今、ぽっかり穴が空いたままなのが、時計のみ。
一生モノに弱い
さて、男というのは、いや、男でなくてもか。一生モノと言うものにとても弱い。憧れてしまう。
いちど手に入れたら、死ぬまでずっとずっと使い続けることができ、とても心地良い使い勝手を提供してくれるモノ。
おしなべて、手に入れるにはとても高価で、なかなか手に入れることはできないが、勇気を持って手に入れさえすれば、高い確率で満足でを与え、一生添い遂げてくれる。
衣服であったり、文房具であったり、筆記用具であったり、人によっては写真機だったり、仕事の道具だったりする。
永遠こそ時計
そんな一生付き添える品々の中、間違いなく時計も含まれる。
国内外の精密な機械式を買わなくても、数万円そこそこの値段を出せば、間違いなく何十年も正確な時を刻んでくれる。常に左手首に巻かれ、忙しい日々を手助けしてくれる。
派手な事はしないし、特別なこともしない。ただ、必要な時に必要なことをしてくれる簡単で単純な機能、それを明確に果たしてくれる時計と言う機械に、とても愛着を持ち信頼を感じている。
ここのところが、最後のギリギリでApple Watchを購入することができない原因だと思う。
Apple製品との連携の利便
多くの素晴らしい機能。特にApple製品との連携による、スムーズで快適な利便性を手入れられるのは、こうしがたい魅力。買わない理由が見当たらない。
きっと、僕の左手首に巻かれさえすれば、ため息ができる出るような快適さを存分に与えてくれるであろうと、想像される。
数年ごとの買い替えが許せず
しかし、Apple Watchは流行の電子機器である。わずか1年も経てば刷新されて陳腐化する。何よりもこのわがままな僕が古びたApple Watchを我慢して使い続けることなんて到底できない。
必然、一年とはいかなくても、バッテリーやなにやら物理的に老朽化して、数年後、数万円出して買い替えが必要になる。
愛しい時計との出会いと別れ
昔、シチズンの時計を中古で1万円で買った。わずか1万円だったが、デザインがとても気に入って常に左腕に巻いていた。おまけに、驚くほど正確で時間がほぼ狂うことはなかった。他に時計は必要ない、これはもう一生もんや!と、心に決めていた。
その時の、変わることも変えることも必要無い安心感というのは、とても気持ちの良いものだった。
が、悲しいかな。あまりにも気に入って、仕事をつけたまま行っていたら、盛大にぶつけてしまって壊してしまった。修理には結構かかるようで、使い続けることは諦めたが、どうしても捨てられずに、壊れたまま机の肥やしとなっている。
一生モノとしてか新たな利便性か
時計を、一生モノとして今のいままで信じていたのに、数年ごと数万円出して買い換えるなんて、到底信条が許さない。
だから、最後の砦として、歯を食いしばって、Appleの時計は買わないでいる。と、今のところささやかな抵抗を続けているのだ。
でも、血糖値や血圧が測れるようになったら、きっと、信条は一瞬のうちに蒸発し、左手首にAppleの時計がほくそ笑んでいることだろう。
一生モノとしての頑なな信条か、圧倒的な利便性か。くめども尽きぬ悩みに翻弄される哀れなApple信者ここにあり。