ようやく「ドライブ・マイ・カー」を観たという話

前々からとても観たかったが、なかなかタイミングが合わなくて観ることができなかった。「ドライブ・マイ・カー」を今日、やっと観ることができた。

結論として、とても素晴らしい作品。大満足して映画館を出ることができた。

物語はそっけないほどのあっさり始まり、セレブ夫婦の洒落た生活を淡々と見せられ、すごい話題にはなっているけど、これは頭の良く、美意識高い系の御仁が満足する系の映画か?つまりは、僕なんかは蚊帳の外。

これで、3時間見せられるのは少々堪えるなあ。

と、一瞬思った。

でも、そんなことはまったくの杞憂で、数分後には物語に静かに深く沈み込んでいく、心地良い快感を感じていた。

映画を観て、こんな事は本当に久しぶり。

長くゆっくりと物語が進むからこそ、ゆっくりと映画の流れに身を委ねることができる。じっくりと意図した目的を”体感”させてくれる。

お決まりだが、このような作品系の色濃い映画は、どうしても構図とカット割を注視してしまう。写真を趣味としているせいか多少気になってしまう。

画角と構図、それをいかほど効果的に、美意識の中に取り込んでいるのかを、見せてくれくのだろうかと、期待半分、意地悪半分で観てしまう。

この作品、不思議なほどに構図の決めがなく、場面の展開も日常の範疇を超えておらず、一歩間違えばのんべんだらりと、時間の経過をただ流しているようなものになっている。でも、ぎりぎりの線で、物語のための絵になっている。

普通(何が普通なのかよくわからんけど)なら、3時間の長丁場。まちがいなく、興味が削がれる場面が散在するのだけど、強く正確な構図と展開を作り上げていない分、彼らの日常を共にしている感覚がある。

感情を引っ張り上げられるような演出ではないので、途中涙が流れてどうしようもない。なんてことはなく。(感受性の高い人ならそんなこと大アリだと叱責されるかも)しみじみと感情の波が押し寄せてくる演出。

でも、これがいい、これだからこそいい。いいとしか言えない。

それでも、一瞬。瞳から涙が出そうになった場面がある。最後の最後。一番のクライマックス(こんな表現はちょっとそぐわず下品か)韓国人の女優が舞台で主人公と絡み合い演じ場面、ある障害を超えた、鋭い決意に似た女優の演技に、なんとも言えない重みを心に感じ、その重さの反動で体液が瞳から出そうになった。いい場面だった。

それと、強く感心したのが、演出家として物語の流れを覚え、セリフを頭に入れるために、車の中でカセットテープで、四六時中妻が吹き込んだ物語を流している。これが、物語や主人公の心の機微と、近くもなく、遠くもない絶妙な距離感で重なり合い、思わず感心させられる。

ある事件がきっかけで、ドライバーの故郷に向かい、そこで、全てが邂逅し大きな救いに繋がる。ここまでの、心の下地をしっかりと時間をかけて積み立ていく、演出の知力の高さに非凡さを感じるし、穿った表現で不謹慎だとは思うが、頭が良くないと撮れない映画だと、頭の悪い僕なんかは憧れてしまう。

一番のクライマックスは、演出家とドライバーが故郷の雪の上で、心情を吐露するところ。ここが普通ならば、この映画の泣かせどころに違いない。でも、心の邂逅の演技は素晴らしかった。

でも、個人的には最後の舞台の手話演技だった。僕の場合は。

ただ、さまざまなところで、自身の生活の喜怒哀楽に寄り添う場面があり、多様に、多面的に感動を享受できる映画だった。

悔やまれるのは、時間がなく、1日一回上映なのでもう一度観れなかったことだ。この映画、3時間という長丁場で、ひるんでしまうが何回も何十回も観るべき映画だった。

絶対、今度また観よう。多分。

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