「竜とそばかすの姫」の感動と感想と感傷

劇場で観るつもりでいたのだけど、結局観ることは叶わず、レンタルできるようになってからと思っていた「竜とそばかすの姫」を観た。

Appleの信者だから、MacからApple TVでレンタルしてしまった。500円とAmazonよりも高いけど、何せ、Macからだとワンクリックで簡単だから。

感想だけど、まあ面白かった。レンタルした価値はあった。

とにかく、音楽がすごい。主人公の声も担当していた中村佳穂さんがすごいのなんの。彼女を見つけた時の、細田守監督はそれはもう飛び上がって喜んだに違いない。勝手な妄想だけど、それだけの内容はあった。

朗々と歌い上げるのはもちろん、すごかったのは心細く不安げに歌い始め、それがどんどん力強く変わっていく表現は、本当に歌が上手い、自由自在に表現できる巧みな歌唱力が備わっているんだなあと、実感させられた。

彼女の歌を聴くための、映画と言っても過言ではない!なんて。

それから、それから映像と演出は、これってなかなかいいんじゃない!?と、巷では色々と言われている映画だから、不安ながら観ていたが、結構観れるしっかりとした絵作りだと安堵and感心。

なんとも偉そうだけど、この監督の演出の技が、上がったんじゃないのと思いつつ観た。

ここまで書いて、悪いようだけど、この監督の集大成となるはずだったこの作品。自他共に認められ、日本のいやそれどころじゃない世界のアニメ監督としての地位を強固に確立したに違いない。したかもしれないけれど。

でも、全体を見渡すと、残念さが後味として舌に残る。

どんな悪い結果でも、初めの善行から出発している。そんな事があると、確かカエサルが言っていたような。

良い行いを一つ一つ繋げて行き、イエス、イエスを確認した結果、それなのに大きく違った方向へ流れてしまう。

これって、世の中の国や、企業、人が作る組織に言えること。

この映画もそんな後味の悪さを感じてしまった。一つ一つの場面はすこぶる良いのに、それがうまい具合に生きていない。特筆した輝けるシーンなのに、組み合うと歪な結果になる。

絵もよく、演出も素晴らしく、音楽は近年稀に見る世界的内容だ。だけど、最後の最後の場面では、観客を放り出して走り去ってしまう。

今まで、人が生活している中の、基本的な愛情を題材として、家族、親族等々あまり大切なのだけど、恥ずかしさや天邪鬼ゆえというかなんというか、そんなことを正面から語らないのに正面から語ってきた監督が、別の一面から新たな展開を見せようとしていた、彼にとっては意欲的で挑戦的な作品だった。

でも、悲しいかな、うまい具合に咀嚼できていなかったんじゃないかなと、正直感じてしまう、こんな状態で終わるのか?と、素晴らしい場面が散りばめられている分、身勝手ながら悔しさを感じてしまった。

正直、近年稀に見る大傑作になったはずなのにと、ほぞを噛んだ。

こんなことを書いてしまったけど、監督としては理解不足、演出の本質を掴んでいないと、殴りかかられるやもしれん、でも、無知かもしれないけれど、観察眼の欠如かもしれないけれど、もう少しなんとかならんかったんかなと、思うばかり。

そういえば、岡田斗司夫氏が脚本は第三者に投げたほうがいい。演出に専念すればと言っていた。そうかもしれんなあと、僕も思った。

色々書いたけど、これをポイッと歴史から捨てるにはあまりにも哀しい。何度か涙腺が緩んだのも事実。映画館で観ていたらきっと、号泣していたのかもしれぬ。だからこそ、残念で仕方がないのだけど。

てなことで、今回はこんなところで終わり。

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