凡庸“写真”雑記「通報」
難しくなった?スナップ
この間、YouTubeで「2B channel」を観ていたら。スナップ撮影が難しくなったと、言っていた。
撮っていると、見知らぬ人から怒られることが最近増えてきたとのこと。
何気なく撮影した先に子供がいたりすると、いつの間に通報されて、職務質問されることもあったようだ。
何かにつけて物騒な世の中だから、仕方がないのだけど、スナップ好きとしては、というかスナップした撮影していない身としては、なかなか厳しい世界がヒタヒタと訪れていることを感じて、うすら寂しい。
スナップの極意は人
だけど、やっぱりスナップと言えば、その極意はやっぱり”人物”であり”顔”だ。
国内外、名を成した写真家は押し並べて、すてきで素晴らしい”人”を街角で撮っている。
さほど、写真家を知ってはいないが、海の外ではアンリ・カルティエ=ブレッソンや、ロバート・キャパ。
日本では、尊敬してやまないハービー山口氏に、大家中の大家森山大道氏。確か、初期のアラーキーも熱心に江戸の路地の子供たちをスナップしていた。笑顔の素晴しい写真だった。今の彼の写真とは似ても似つかない、子供のいい笑顔だった。
今後、街角で出合う素敵な笑顔、無邪気な表情が静かに着実に撮れなくなるのは寂しい。
実際は全く勇気なしの意気地無し
と、そんな事を言いつつも、街角で気になる人を勝手に撮ったり、間違っても「撮っていいですか〜」など、声をかけて撮ることなんて勇気は持ち合わせておらず、どれほどごった返している観光地でも、とにかく人を真正面から写らないように、細心の気を遣いながら撮影している。
偉そうに人だ顔だ、表情だとのたまいながら、実際は全く勇気なしの意気地無しなのだ。
あらゆるところに心の琴線に触れる芸術がある
言い訳じゃないけど、(言い訳か?)身の危険を感じながら、恥を偲んで必死に人様なんか撮らなくても、街角にはとても、とても、魅力的な被写体があるし、物語を作ることができる。
それだから、それだけを、ひたすら心の琴線に触れる街の部分を切り取れば、それこそ”芸術品”になるのじゃないだろか。と、信じて、いるのだけども。
正真正銘の逃げ
覚悟を決めて、見ず知らずの人の”顔”をとり続けている達人以上のものを撮れることは、冷静な現実として、きっと難しいだろう。なんたって、正真正銘の逃げなのだから。
この写真、この日も仕事のついでで、ヨレヨレの格好をしていたから、なるべく人に目をつけられないように、コソコソと撮った厚木の写真。