凡庸”写真”雑記「創作」艱難辛苦かとりあえずか

あるカメラマン

この間ポッドキャストを聴いていたらゲストにカメラマンが来ていた。

カメラマンになった経緯と、アシスタント時代、そして、独り立ちして武者修行として海外を取り歩いた話を語っていた。

その語り口は、柔らかく、力が抜けた気だるさがあり、それでいて言葉の組み立てがしっかりとして、わかりやすく、聴いていてとても楽しかった。

限界は他人が決める

ただ、軽妙な語り口に反し、その内容は特別な才能を持った人々が、厳しく切磋琢磨している世界の話だった。

アシスタント時代、師匠から入院しなきゃいけない状態なのに、明日までこれやっといてと言われ、死に物狂いでやった。その時、自分の限界は自分では決めてはいけないと知った。なんて、今、完全なアウトな話をしていた。

それに、彼もかなりの頑固者で、師匠の写真に衝撃を受け、弟子入りしたのだから、師匠以外のどんなに有名カメラマンだったとしても、その指示や依頼は跳ねつけていた。

何も持たずに世界を創る

そして、いつまでも師匠の元に居ることを良しとせず、数年で袂を分け、それじゃ仕事の宛があるのかと言えば、人から薦められたのは全て切り捨て、自分の撮りたい写真を見つけ、見つけられるまで、写真とは関係の無いアルバイトをしながら、自分の写真を撮り続けたらしい。

その後、日本を飛び出し、英語が全くわからない状態でアメリカへ。その後、南米の原住民の写真に出会い。それを撮るために南米に渡る。

自分の写真を捕まえる

が、途端、写真を撮る意味を見失い。全く撮らなくなってしまった。現地ので生活しながら現地で友人を作り、交流する中、友人たちの笑顔が撮りたくなり、また、カメラを手に取って撮り始める。

それまで、人を撮ることに抵抗があった、でも、それをきっかけに人を本気で撮るようになった。

面白かったというか、びっくりしたのが、南米のシャーマンのお爺さんから、霊的な何か?を受け、その時、世界が輝いて見えた。その後、写真が変わった。と言っていた。

こりゃまた、すごい話である。

そのカメラマン。今は日本も戻ってきて、順調にカメラマンとして歩んでいる。

世の中に出るためには

こんな話を聞いて、昔、感じていた”成し遂げた人”への恐怖だろうか、畏怖だろうか、そんな厄介な気持ちが蘇る。

今、そこそこ有名なカメラマンでも、芸術家でも、到底凡人では手が届かない実績と才能を得た人々が、ニコニコ笑いながら優しく丁寧にYouTubeとかをやっている。

親しみやすくて、心地よく、とても身近に感じて、あった事もないのに親戚のおじさん、お兄さん(おばさん、お姉さんでもある)みたいな感覚になる。

それを見ていると、思慮の浅い僕なんかは、まるで自分と同等で対等であると錯覚してしまう。

でも、本当はそんな生やさしいもんじゃない。はずだ。

人知れず、そう簡単には乗り越えられない所を、自分の才能と根性(なんとも昔話のような言葉)で、あらゆる理不尽や不条理を超えてきたに違いない。

昔はこんな武勇伝が闊歩してきた。趣味の延長で楽しくやりたいとか、意思が薄弱だとか、そんな人間はその時点でキックアウトされる。

好きでは、楽しいでは、憧れではどうしようもないだよと、世界中が全身全霊で宣言していた世界だった。

だから、何か牧歌的な夢見心地的な創作への憧れや、表現したい衝動などを、か細い声で訴えるだけでは、は到底叶わない。それこそ、風呂敷を包み逃げ帰ることが正解だった。

とにかく日々、世界に何かを付け足して

それが、YouTubeやブログなどで、朗らかにとりあえずは出しちゃおうと、楽しく工夫しながら世に出している。

その中で、自然と人から掬い上げられ、広まることが常となっている。

そんな彼らを眺めつつ、もっと気楽に、どうせ、ダメ元なんだからと、気楽に思いつきき発信できることを許せるようになった。

もちろん、今でも背筋が凍るような、苦しみと努力の果てに、創作の極みを手に入れている、正真正銘の創作者がいるだろうけど、どう転んだってそんなことは耐えられそうもないので、とにかく日々、ダラダラフラフラ何かを世界に付け足して行こうと思っている。

とんでもなく迷惑なことかも知れないけれど。

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