凡庸雑記「慎重」

この間雑誌を読んでいたら、技術力が高い日本なのに、なぜだか日本製の掃除機ロボットは広まっていないとの記事があった。

それなりに日本の主要メーカーから発売されているが、アメリカのメーカーの後塵を拝している。

書いていた人は外国の方なので、客観的な目でそのことを書いていた。

その理由を日本のメーカーの人から聞いたようのなだけど、掃除機ロボットが万が一火の気のあるもの、ストーブなどを倒して火事になったり、部屋の貴重品をぶつけて損害を与えたり、それらをあれこれ考えると、どうしても消極的なり、今一歩、思い切りが良く開発が進まないようなのだ。

ただ、その方はさほど悪くは取っておらず、何事も慎重に慎重を重ねる日本人だから、さまざまなことが確実に滞りなく進んでいるのだ。と、褒めてくれていた。(うっすらと皮肉も込められていたのかもしれないが)

容姿は平坦な顔の純日本人だけど、日本人離れをした、いい加減な性格の僕は。こんな、微に入り細に入りあらゆる問題を考え尽くし、そうでないと動かない性質を、羨ましくもあり疎ましくもあり、複雑な思いで眺めている。

個人的には、窮屈極まりないこんな風習は消えてなくなれと願うのだけど、社会人として現実的に確固たる信頼と地位を得ているのは、やはりこんな細かく几帳面で、気を四方八方未来も過去も配れる性質だ。

側から見ていると、こんなことまでよくもまあ考えられて、心配できるなあぁと、感心してしまう。彼らは、右に何ミリ、左に何ミリ動かす動かさないで平気で数週間費やす。

それでも、時間を食い散らかしながら、それはもう鉄壁の完成度で、寸分の狂いもなく物事が進む様を見せつけられる。それが強烈な成功体験になっていること間違いなく、それが拍車となってより細かく隅々まで気を巡らせることになる。

少し前は、欧米ではこんな非効率な仕事術など誰も行なっていない。日本独特の陳腐な社会構造だと、冷笑されていたが、なかなか根強いし、そんな生真面目な労働が日本の社会を土台の部分で動かしているのだと見るに、毛嫌いも拒絶もしてはならないし、逃げることもできず、ある程度の距離は持ちながら、こちらはのほほんと生きて行くしかないかと、考えている。

なんだか、よくわからん内容となったけど、あるかどうかわからない、ストーブの転倒と、花瓶の水浸しを思い描き恐れ慄くとは、それはそれですごいもんだと感心してこんな文章を書いてみた。

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