好きと嫌いと趣味趣向は人それぞれ。誰もが愛するNikon Zfcを好きになれない訳

人には趣味趣向が

人には趣味趣向がある。人それぞれ、勝手に好き辛いを決めてください。そう、ご勝手に。

と言うところ。なのだけど、人の好きは眼中になく、自分の好きは人の眼中にに入れてしまう。



心の内外で、わあわぁ騒いで、これが良いんですよ!と、押し付けてしまう。人とは自分の趣味趣向を絶対唯一無二の正解だと錯覚してしまう生き物なのだ。

だから、関係ない人類に対して、絶対あんたも好きなんでしょうと、押し付ける。

こんなことだから、世の中には争いが絶えないのだろう。

 




 

趣味趣向の出どころ

しかし、その趣味と趣向。好きとか嫌いとか。突き詰めると意外にも出どころは、あやふやな、ふにゃふにゃ実に怪しさ満載だったりしたりして。

ちなみに、話は大きく曲がりくねるが、皆が大好きNikonのZ fc。レトロな風体は女の子に大モテ。僕もあやかりたい。ほんとうに、いやはや、ほんとうに。

が、これが、どうにもこうにも、いやとはいかないまでも、苦手なんだこの僕は。



誰も彼もが、人によってはフルサイズのZ7なんかより、デザインも機能も断然いい!と言っている写真の玄人がいるほど、世の中に認知された写真機なのに、どうしてだろうどうもモヤモヤ気持ちが晴れない。

いったいどうしてだろうかと振り返るに、我が、苦々しい若かりし頃の写真道を思いだす。

 




 

過去のFM2との思い出

当時、金が無かった金欠ボーイの僕は(いゃ〜今でもないか)中古で買ったFM2を肌身離さず持ち歩き、コダクローム64を装填して、欲望のおもむくまま、ひたすらシャターを切っていた。

ここまで書いて、白状して、吐露して、勘の良い御仁ならばお分かりだろう。そう、申し訳はないのだけど、FM2を使うことに、うんざりしてしまったのだ。

毎日毎日、指先でシャッターを、絞りを、いじくり回し、手の一部と化した度合いに、相反しこの写真機への、気持ちが離れていった。

あゝ、いつの日か、きっと、必ず、より高価で豪華で、高性能の、一生モンの写真機を手に入れてやるぞ、そう、かの伝説になった写真機、NikonのF3を手に入れ、モータドライブを装着し、国内外ありとあらゆる場所を、撮りまわる。



苦々しく、手に収まったFM2を眺めながら、いつかきっと、今、手のなかにあるこいつを超えて、真の写真機を得た真の写真家として、名を馳せるのだ。と、今考えればあまりにも悍ましい呪いに近い思いを、切るシャッターに込めていた。

その時の、苦い記憶をあまりにもFM2と瓜二つのNikon Z fcは、否が応でも思い出させてしまう、似ているだけでいい写真機には間違いないのに。まったくの濡れ衣なのに。





センスと決断

モノの良し悪しや、好き嫌いは、こんな感じて、人の身勝手で不確かな感情を土台としているのかもしれない。どれほど素晴らしい機能や容貌をしていても、変な心の引っ掛かりで、それも、意地の悪い気まぐれをもとにしたもので、決まってしまうのだろう。

それを考えると、モノを作ることは大変だと改めて思う。



どんなに労力を投入し、名実ともに素晴らしいものを作っても、どこかの誰かは必ず気に入らない。総じて両手を挙げてはくれない。いいと言ってくれそうな割合を考えて、ここに自分の創造力を投入するセンスと決断が必要になるのだ。

なんて、怪しいビジネス書みたいに締めくくりたい。





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