凡庸”レンズ”雑記「懺悔」かくして僕は、良い相棒を手に入れたと思うことにした。

ごめんなさい。申し訳ございません。そう、これは紛れもなくZレンズだった。

この間、NIKKOR Z 40mm f/2を買ったんだよと、書いた。

なけなしのお金をかき集め、1年間で貯まった楽天ポイントを全て使い、買うに至った。

50mmf1.8と散々悩んだが、3万円というNikonのZ レンズにしては破格なお値段に、心がグラグラと揺さぶられ、さすがZレンズの描写だ!と、巷に広がる評判の良さに心を掴まれ、手を出した。

が、破格な値段で作っているということは、絶対的に10万以上するS lineレンズよりは、劣る。そんな事、子供でも分かる現実なのである。

それなのに、身勝手に、気持ちを高揚させ、初めて写した感想は、正直あまり芳しくなかった。期待が高すぎ、想いご、現世からあらぬ方向にふわふわと、飛んでいたのだ。

キットレンズとして手に入れたズームに比べ、どうしても甘さが気になった。あゝ、ここに値と造の差があったのかと嘆いた。(がっかりとは言いたくない)

しかし、いつまでも自分の感覚で落胆してはおれない、居てはならない。

改めて、積極的に、浮世に戻り、持ち出し写すことにする。今度は、余計な偽色は修正し、ほんとうの出会いをこのレンズとするために。

で、冒頭のあの懺悔。

意外と悪くはない。高望みと、醜い期待をかなぐり捨てれば。やっぱり、こいつはZの息子。(娘?)

写真の端々に、精細でキレの良い絵を覗き見る。あ〜そうかと、思わされる。何度も言うが、意外な美しさと出会う。

無論、もちろん、このレンズは決して、見紛うばかりの美しさを競う存在ではない。それ以外、それ以上の、良さがある。

ただ、ただ、小さく、軽い、美点がある。

Nikon Z6にこれを付けて、首からぶら下げた時の、気恥ずかしさの微々たるもの。気の矮小な僕には、福音として賜った歓喜の微笑みを禁じ得ない。

収まり良く、手に鎮座するそれは、見知った街の、見知らぬ街の、記録者として、建物、路地、人、全てを撮る勇気を与えてくれる。

ファイダーを覗きつつ想う。捨てられた部分はあるが、そのことで得られる幸福が、世の中にはあると。

そんな柄でもないことを、感じさせるレンズだ。意外と長い相棒になるやもしれんとも。

それにしても、このサイズと軽さで、S Lineの描写のレンズを作れは、きっと、Nikonは天下がとれるのにと、思ったりしたりして。

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