出る出る詐欺ではなかった「Z8」★素直な名機は新たな希望

出る出る詐欺で結局は何年か出なくて、やっぱりNikonは息切れ動悸でフラフラのカメラメーカーとなるのじゃないだろうかと、勝手に落胆していたら、突如、でも無いけれど、Nikon Z8が発表された。

Z9の性能を実質的に小さく濃縮して、本当の意味で“使える“カメラとなった。

正直なところ、いろいろ紆余曲折したけど、やっとNikon。悟ったのか、諦めたのか分からんけれど、やっと普通のカメラを作ったのでは無いだろうかと思う。

すごく素敵な、必要に足る普通のカメラとしての風貌をしているこのカメラ。初めから、これを基本筐体として、さまざまな仕様のカメラを作れば良かった。

どうもNikonは、あれこれと移り気なところがある。

今までの流れを変えて、良かれと思ってだとは思うが、突拍子もない筐体を世に出す。それが、しっくり来ればいいのだけど、大体は自画自賛の自沈という場面が多々ある。

一眼レフの時はかなりこなれて、ある程度収まりの具合が良くなっていたのに、ミラーレスでは、それを全く覆すZ6や7を出す。

そりゃ、もう意識の外から、異空間から訪れたようなその形は、散々に酷評の嵐を浴びることになる。で、腐ってもタイ、歪でもNikon。貧相な風体のだけど、中身は抜群という格好の貧乏人仕様の素晴らしきカメラが現れることになる。

そう、僕が今使っている、僕でも買えたNikonZ6。

やれキヤノンだ、ソニーだ、色の良いフジだと騒いでいる喧騒の中、ひっそりと生息していたおかげで、性能の割にはびっくりするほどの安さで手に入れることが出来た。それがニコンの貧乏カメラマン救済の戦略なのかは、今や都市伝説として噂として朧げだが、現実的に僕の手元にあるというのは、感謝しかない。

それに、あの哀れなガチョウのような風体は、現実に使ってみたら実に都合の良い形だった。薄く、軽く、それでいてしっかりとした掴み心地。ちょうど良い出っ張りは、親指でしっかりと固定することができる。

ニコン。あんたはほんとよく頑張ったんだな。と、感慨深く思い知るのだ。

それにしてもニコンから香る、キヤノンやソニーなどシャレオツな人々が、にこやかに手にする他のメーカーとは一線を画すダサさは、その努力を完膚までに消滅させている。

キヤノンやソニー、その他もろもろのメーカーが、基本デザインを変えず、それを基として作り上げるのに比べて、あえて踏襲せず、持てる限りの知識と意識を総動員し、新しいニコンらしさを作り上げようとしてる意欲。それを、盲目的に信奉して、作り上げているのだけど、結果はまとまりのないダサい何かを香らせてしまう。

これも、ニコンらしいと言えばそうなのだけど。

それが、このZ8は感じられない。諦めたいうのだろうか。ニコンが今までに踏襲したカメラとしての形を、何ら手を加えず、素材の風合いを活かして、料理した。そんな感じ。

そう、これでいいんだよ。そう、言いたくなった。

悪いけど、もちろん使っているからZ6やZ7は素敵なカメラに違いなのだけど、初めの一歩からこの筐体を基本として、ニコンの王道を突き進んでくれたらよかったのにと、ようわからんけど感じて考えるのだ。

てなことで、やっと、本気で戦えるカメラが出たんだなぁと、感涙にむせんでいる。あわれたニコン党である。

そりゃ欲しい。あれば夢の如く。これがあれば、わずかな人生に豊かな色彩が加わるだろ。と鼻息荒く、夢を描くのだけど、絶対、到底、無理、撤退、退避、スタコラさっさ。と、現実を甘んじて受け入れつつ、ほくそ笑んで使い勝手を語る御仁を眺めつつ、夢想の中でかのカメラと戯れるのだ。

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