凡庸雑記「天国」それは本当にそこなのか?

天国というのは誰もが口にして憧れにしているが、実に抽象的で、身勝手なものだ。と、思う。

本人の主観の部分が多い。それに、周りから思い込まされていることもある。そのほうが多いのかもしれない。

良いことなのか悪いことなのかわからないが、多種多様な、自分と他人に関わる、いい加減な世界なのかもしれない「天国」は。

で、こんなことを話しているかと言うと、今ままさに「天国」にいるからだ。

誰もいない家の中。会社を休み(もちろん代休という合法的に)周りに誰の視線も、吐息も、思惑も、呟きもなく、そして、無邪気に対応を様ってくる連絡もなく、自分の時間を謳歌している。

このままこんな時間と、日々が過ごせれば良いのにと、心から思っている。

で、こんなことが、こんな時間が、本当に「天国」なのか。それは、かなり怪しい。天国というのならば、魂の浄化がされるべきであり、それほどでもなくても、長期的に見て、精神的にも肉体的にも、社会的にも自他ともに満たされたものにならなくてはならない。一般常識的にそんなところ。

今の状況を客観的に見ると、これは紛れもなく社会破綻者のそれである。人とも接せず、仕事もせず、好きなとこをそれだけを、ゾロゾロやっていたら、確実に天国どころじゃなくなる。

真っ当な「地獄」への道。かもしれない。

でも、これも人それぞれ、それぞれの、無数の「天国」があってもいいんじゃないか。いい加減でも、何でもかんでも。

兎にも角にも、今のような無節操な状態を無自覚に「天国」だ〜!と喜べる気持ちの余裕が「天国」でも「地獄」にてしても、必要なのではないだろうか。ようわからんけど。

で、あんまりにも仕事が忙しくて、気持ちが落ち着かないから、こんなことを書いてしまったのかもしれない。とにかく、頭の中の雑音をスッキリさせたくて仕方がない。いつもなら、こんな時には、カメラを持って、街に飛び出しながらスナップを撮るのだけど、体の調子がどうも良くない。

心身ともの疲れが溜まっているせいか、全く何もしたくない。

ひたすら寝転がって、Netflixやアマプラなんかで次々配信ドラマや映画を観ている。キリがないほど量があるので尽きることがない。まさに、天国。いや、これはもう廃人はっしぐらか。

何かを造る必要を痛感しているが、造り出すのは、これはとんでもなく疲れてしまう。せっかくの自由時間、「天国」なのだから、人様に何かを差し出して自己顕示欲を満たし、願わくば人としての成長を促したい。そう、願いつつ現実にはひたすら動画を見続け、将来的に「地獄」にまっしぐら。気がきでない。

せっかくの休み、頭の中が雑音ばかりで、収集がつかないから、整理するために適当に迷惑にも書いてみた。

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