「三四郎」を読み終わりました。夏目漱石の小説です。
無料なので暇つぶしのために読み始めたその小説は、
驚きと感動の連続でした。

学生時代に読んだ記憶があるのですが、その時にはまったく
なにも感じず、文学不干渉の烙印を押された気分でした。

読んでいる最中、感動のあまり駄文を書いたのですが、
読み終わったので、せっかくだから駄文2を書いてみます。

青春の淡くイタい恋心を書きながら、古いものを切り捨て、
欧米の近代文明を、貪欲に取り入れようとしている日本の
矛盾を痛烈にしかし、徹して冷徹に客観視ながら、端正な
文章が続いていきます。

そのバランスが絶妙で、読むたびに脳が活性化し、また、
恋心の危うさに胸躍ります。やっぱり、夏目漱石はただ者
ではなかった。まあ、もちろん今でも読み継がれる作者なの
ですから、凡庸ではないのは当たり前ですが。

初めて、教科書に載っている作家で、感動した!と言っても
いい。まあ、太宰治や、芥川龍之介、それに、三島由紀夫な
ど天才もいるのですから、読後の錯覚かもしれませんけど。

それにしても、恋の幻想を抱かせる女性、美禰子。これ以上
ないほどのファムタームです。超絶美人で、頭が切れて、
思わせぶりに主人公に言葉を投げかけ、翻弄の限りを尽くし
ます。

それが、ある人の書評では、あくまでも別の人をなびかすた
めに、三四郎をネタにした。なんてことを書いています。
合点がいく点も確かに多いのですが、ちょっと、それはな
いじゃないのと言うぐらい、三四郎が不憫です。

個人的には、はじめはそうだったとしても、だんだん三四郎
に引かれて、その気持ちが膨らんだ結果、決別を選んだと、
ツンデレラノベみたく思いたいのですけど。

ただ、彼女が世を惑わすファムタームだとしても、読者も
好きにならざるを得ないほど、魅惑的です。とにかく、
夏目漱石が彼女を描く風景が、絶妙で、端的な言葉を組み
合わせ、最短、最適な表現で、彼女を引き立てます。

まさに、夏目漱石も創作の彼女に恋しているのでしょう。
そうとしか考えられません。なお、彼女にはモデルがおり、
あの平塚らいてうらしいのです。もしかしたら、彼女に強く
興味を抱いていたのかもしれません。それほど、文章の美禰子
は、生々しいのです。

この小説、三四郎の目から徹底的に描かれているので、
ほかの人の本音がまったく分かりません。しかし、言葉の端々
や、所作の一つ一つに、本音の確信が盛り込まれており、それを
読解させる意地悪が仕掛けられています。

知性と、感性と、力量がとんでもなく必要で、美禰子のあの
数少ない言葉と、些細な所作から、彼女の心はどこにむいている
のか、質のいい迷路を歩く心地よさがたまりません。

これは、何度も読まざるを得ないし、読みたいと思わされる。
こういうのっては、なかなか巡り会えない。とにかく、今回は
一通り読み切ったみたいな程度の理解なので、そのうち、もう
一度よまなきゃなと思っています。

それに、主人公が接点を持った、広田先生の痛烈な現代批判も
読み直さなくてはいけません。つい、現代と書いてしまいました
が、大昔の話とは思えない、それほど、新鮮な痛み、世の方向へ
の歯がゆさをを感じます。今、この時代こそ理解しないといけない、
声を上げないといけないそう感じます。

たしかに、大昔の明治の世相ですから、今とはかけ離れたところも
たたあります。美禰子がお見合いで結婚したり、三四郎が再三、
母からこれまたお見合いの催促されたり、個人より家や、世の中
が優先される時代です。

美禰子も三四郎も、その重さ、窮屈さに、すこしでもあがないたい
と、我知らず結実しない恋の戯れに走ったのかもしれません。
まあ、これはなんとも無意味な妄想なので、まったく、誤ったことだ
と思いますけど。

てなことで、この辺で三四郎、読後の想いをつらつらと。