この間、退職した元同僚が家を買い、引っ越すことになった。

それで、近所のしゃぶしゃぶの店でお別れ会兼新築祝いを行った。

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久しぶりに会った彼は、とても垢抜け。なんだかこちらが気恥ずかしくなった。

新しく勤めた会社は、とても水が合っているようで、服装や身につけている小物全てがそれを物語っていた。

より、洗練されて、輝いていた。

話を聞くと、やはり待遇面で昔の会社とは、雲と泥畑の差があり、働いている人々も、安心と信頼を与えてくれてくれる存在だった。

直接の上司は、才能が人並みより高い彼の独りよがりな心を、柔らかく砕く、能力と人間性で。

このような人に出会えたのは、幸福な奇跡だと、目元を和らげながら語っていた。

僕自身も彼の似非上司のことをしていたが、それがまやかしであることを、痛感した。

もう、今の現状では、彼のような優秀で、それでいて才を冷静に沈黙させる術を持っている、理知的な平和主義者とは仕事を共にすることはできないだろうが、これからの生き方の糧にはしたい。遅いかもしれないが、

自分の家を持つ。しっかりとした、現状の足場と、見えなくとも歩んでいける確信、そして勇気が彼の中に満ちているから、この、冒険に踏み出した。

僕にはついぞ、考えにも上らなかった。

考えに上らないのではなく、考えを拒否したのだ。現状がどれほど不自由だったとしても、甘んじて、いや、不確かな使命を妄想して、歩き続け、疲れたのだ、

変化は、戸惑う。運命は成功を約束してはくれない。不自由な現状は、確実に見える。暗い海峡を悲壮な風に吹かれて、眺め続けてしまうように、立ち止まってしまう。

変化の奥底にある輝きは、決して見えることはない。だが、それを求める一歩は。生きていく上で、不可避な希望だ。

その輝きを、つかめる人も逃す人もいる。だが、進まなくては何も起こらない。留まる事に勇気を使うのではない。進むために持てる全てを使い切るのだ。

今の彼のように、眩しい輝きを放つ真新しい時計を眺めながら、そんなことを考えた。

遠くの未来は、楽観的に見てしまう。そんなことを今読んでいる「ライフシフト」に書いていた。

楽観視に惑わされないため、明確で、滅びる事を見つめる冷静さで、未来を見据え自分のライフデザインを組み立てないといけないとあった。

ただそれを今の自分ができるのか、目を背けずに。それは、自分自身のことなのに、分からない。

遅すぎた時間の狭間に足を取られて、動けない事しか見えてこない。現実を見るということがそうならば、それを受け入れる心が必要なのかもしれない。

ただ、それが今であり、逃れられない未来ならば、人一倍大きなため息をつき、静かに途方に暮れながら、路傍の隅で立ちすくみながらでも、行方を見つめなくてはならない。

そうすれば、遠くかなたに、もしかしたら、彼の瞳と、腕時計のような屈託のない輝きを見つけられるかもしれないのだから。

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