2月4日の日経ビジネスに糸井重里さんとマイケル・ポーター氏の対談がのっていました。 この間、「ほぼ日」がポーター賞なるものをとったようで、そのおかげでこの興味深い対談が行われる運びとなったようです。なんだか、お堅いポーターの戦略論と、ゆるぬるでふわふわの「ほぼ日」と相容れない気がするのですが、深いところで「ほぼ日」の姿勢と、戦略論が結びついていました。 「経営の“原点”を再考せよ」 といいう表題で話が進むのですが、開口一番「仕事をすることは嫌が経営の原点」「本当は誰も働きたいなん て思っていないんじゃないか」との疑いから組織のあり方、仕事の仕方を考えたと糸井さんが 言いました。 だからお金を儲けようの前に、自分が楽しもうと仕事を考えて続けてきました。それが、人を幸せにして 多くの共感を生み、企業的な成長にもつながりました。 そのことを聞いて、ポーター氏はこれこそ最高の戦略であるといい。常々学生には「報酬がもらえなくても やりたいと思えることは何かを考えなさい」 と言っていると述べていました。 義務や責任などではなく、ましては上っ面の金銭ではなく、自分が心底喜べること、信念を沸き立たせること が出来ること、それこそ、一生続けられることを正面から見つめることが、心身ともの豊かさへの急がば回れ なのでしょう。 それにしても、糸井さんはよくぞ言ってくれました。「仕事をすることは嫌だ」「本当は誰も働きたいなんて 思っていないのじゃないか」と。やっぱり仕事は嫌なモノです。ちっとも楽しくない。だけど、そんなことを 言おうものなら、大の大人が、落伍者の証明書を送付されます。 誰もが、特に世の中の成功者といわれる人々が、仕事こそ人生の糧であり、成長の源であり、生きるための基 本的部分だと言います。だけど、いちいち仕事をしなくては、嫌な、まっとうな人間になれないだなんて、 人生がむなしすぎる。と、僕は思う。 ほかにやりたいこと、すばらしいこと、僕にとって価値ある美しものは両手に余るほど無数にある。 映画を観たり、音楽を聴いたり、本を読んだり、それは無味乾燥なビジネス書や技術書ではなく、芳醇な言葉に 包まれた小説やエッセイ。そして、これこそ本当に人生の営みを記録した社会歴史書を存分にたしなむこと。 まあ、人によっては、恋愛だとか、お酒を浴びることだったりしますが、僕は関係ないので僕の人生からは はぶきますけど。 だから、本当に仕事ってそんなに意味あることなんだろうかといまだ思います。 ˇそれを口に出してはいえない僕に比べ、 糸井さんは言うし、仕事は嫌だということを経営の原点にして「ほぼ日」 を続けて来た 。 「信念を基に実行すれば優れた戦略は見つかる」 とポーター氏が話していますが、その信念が「仕事は嫌」だとは、信念というはいろんなところに転がっているん だなと思います。だけど、それが生き死にを左右するのだから、おもしろいものです。それにしても、中途半端な ことをまた書いてしまったなあ。