「ブレードランナー2049」を三回目観て。何にも無い人間の何にも無い物語。

出張中の夜の楽しみは映画を観ることです。

ホテルは定宿の東横イン。ここでは、500円で映画が観ることができるので、今回も支払って観ることにしました。

さて、何を観ようかと登録されている映画を観ていくと、映画館で2回も観たのに、もう一度「ブレードランナー2049」 を観ることにしました。

この映画。かなり賛否両論で、けなす人も多い。それも、映画通とか芸術家肌とか、一言ある人の中でもけっこう厳しい評価をしています。

でも、3回目改めて観て、やっぱり、僕はこの映画好きだなあと、しみじみ感じました。

人がけなしているのに、僕はどうして、ここまでも好きになってしまったのだろう。それを、ネタバレを含みつつ考えてみたいと思います。

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徹底したこだわった映像の作り込み。

一つの部分をそのままフォトグラフとして、切り取って家に飾っても、十分感動できる、絵作りの良さに完全に魅了されました。

あえて、ショットを細かく切り刻まず、変化を極力減らして、ゆっくりと流すことで、じっくりと映像を見せていきます。

これって、ハリウッド映画。特にCG全盛の今のSFや、アクション映画では、絶対、撮らせてもらえない。

なんたって、あらゆる言語、文化の人々に観てもらうの前提条件ですから、考えさせる絵作りは敬遠されてしまいます。

偉そうに書いていますが、僕も、映画館で観ていたときは、終始眠かった。心地よい睡魔だったので、悪くは無かったのですけど。

ホテルのテレビで、客観的に観ると、やっぱり絵作りしているなあと、感心しました。

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女の子の演技が最高

女の子というか、大人の女性ですが、映画で出てくるすべてが、誰もが愛おしいというと、ちょと大げさなので、いい具合なんです。

もう主人公とも言える存在感のバーチャル女子のジョイ。

恥ずかしながら、あえて言いますが、もう、男子。それも、少々こじらせた魂を持った男子の理想ではないでしょうか。

仕草がすべてかわいいし、目はくりっとして、丸顔童顔。極めつけは、あらゆることを駆使して、ユーザーを慰めてくれる。

それが、変わらないし、裏切らない。

近い未来にこんなのが出てしまったら、それも、この日本で。完全に人間は肉体との生殖欲望を退化させて、衰退の一途をたどるのでは無いかなんて、心配してしまいます。

普通、(普通かどうか分からないし、世の中には何年経ってもこんな言葉を表面的でも語りかける妻や夫がいるかもしれないけど)夫婦になって何年か経つと、帰ってきても自分のことや家計の苦しさを一方的に語りかけるだけで、相手へ心配顔で癒やしの言葉を語りかけるなんてない!そう、実録物語として知っています。

それが、やさぐれて、ぼろ屋に帰ってきたユーザーに美味しい食事(バーチャルだけど)を差し出しつつ、一息ついて、「今日はどうだった?疲れているようだけど」なんて、声をかけない。

どうあがいても底辺にしかいられない男(女でも)に対して、いついかなるときでも、あなたはよく頑張っている、あなたは、特別な存在、なんて、言ってくれるのだから、もう、勇気百倍。

それを、絵空事と分かっていても、じんじん感じさせてくれるジョイの女優の愛らしい演技は、これだけ取り出して最近はやりのVRで実現して欲しいほど。まあ、そんなことしたら、完全に人生終わってしまう確信はあるけど。

よくもまあこんな女優を探してきたもんです。ピッタリというか、なんというか。これからの活躍を期待したいものです。でも、印象が強すぎて、影響がでるかも。

それなら、ジョイだけのブレードランナーを作ったらいいのでは。なんて、思ったりして。

もう一人。とても気にいっているのが、レブリカントのイブ。

彼女も切ないほどユーザーを愛している。本当に痛いほど。

単純に、ユーザーの希望を聞いて動くロボットではなく、痛々しいほどユーザーの理想となって、愛を得ようとあらゆること(ほとんど破壊活動ですけど)を実行して行きます。

その姿が、とても切なくてしかたがありません。

所詮、人のために大きな目的を持って、生きているユーザーは、彼女に振り向くことはない。彼女はあくまでもツールなんですから。

でも、自分なりにユーザーに対し、価値あるものにならんとして、ある種の正義を持って生きています。それが、彼女の生きる意味。

けっして満たされることのない結果に対して、執拗に追い求め姿が、壮絶な演技から浮かんできます。これまた、いい女優です。

相手に対して、つくす方法と方向、立場は違いますが、実りのない結果を望みながら、それでも、行わざるを得ない姿に、涙を禁じ得ません。

あと、本当のレイチェルの娘。これも良かった。

出番はとても少ないのですが、つかみ所の無い尊顔感がとても気に入りました。

ある種達観している世界観を持ち、レプリカントの精神を安定させるため、「記憶」を作っています。こんな女性なら、皮肉な記憶を最大のいたわりを持って、作ることが出来る。と思わせられます。

Kに記憶の検査を依頼されたときに、彼の記憶を「覗き」静かに涙を流すシーンは、この間観た「万引き家族」の安藤サクラが涙を流すシーンよりも、胸にぐっときました。

こう観ると、この映画。主人公は男だけど、物語の中心は女性ではないだろうかと、思わされます。思い出すのは女性ばかりなんですから。

もちろん、ラストのKは別腹ですが。

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 何でも無い人間の物語

さてさて、この映画の最も気持ちを持って行かれた点。これがあるからこの映画を何度も観たいと思っている点。

それは、「何でも無い人間はやっぱり何でも無い」ところ。

アベンジャーズやスーパーマン、パットマン等々、特別な才能や能力がある人が、特別な存在として、特別な結果を出す。もしくは、特別で無くても、努力次第で特別になれると、強く、何度も表現するアメリカ映画とは全く真逆の物語。

よくも、こんな身も蓋もない題材で映画を作ったもんだと、よく企画が通ったもんだと、感心してしまいます。

もう、観た人がほとんどですし、観ない人は観ない映画ですから、ネタバレで書いて行きます。

主人公のKは、人間から差別されるレブリカントの捜査官(ブレードランナー)。それでも、もくもくと精神を安定させ、人間に警戒感をいだかせず、無理難題を言うセクハラ上司に気に入られて、生きています。

彼を、特別な存在として語りかけて、勇気づけるのは、パーチャル女子のジョイだけ。まあ、それでも生きていた。

そんな彼か、いつものごとく旧型の脱走レブリカントを処理する仕事を終えて、木下で変な箱を見つけてから、どんどん、事件に飲み込まれて行きます。

挙げ句の果てに、子供を産んだレブリカントがいる。産んだ側は死んだが、子供はどうも生きてるようだ。上司から’それ’を処理するようにと言われてしまう。

いつものごとく無表情に、職務として子供殺しの調査を進めると、なんだか、自分の記憶(本人はそれは植え付けられた疑似記憶だと思っている)と共有する点が。もしかしたら、この記憶はほんもの?

極めつけは、操作のために、児童を強制労働させている施設に行ったとき、記憶にある木彫りの馬を隠した場所が、目の前に。恐る恐る近づいて、その場所を手で探ると、包まれた木彫りの馬が、ゴロンと出てきた。

もしかしたら、俺はレブリカントから生まれた特別な存在では無いか?

ジョイも、あなたの記憶がここまでも現実に合っているのは、あなたが作られた存在では無く、愛情を持って産まれた存在である証明だ。あなたは、特別な存在だと常々思っていた。なんて、言う。

今までの制御された感情は千々に乱れて、警察の鑑定に引っかかりまくり、あわや処理。て、ところで、少なからず気に入っていたセクハラ上司から、停職を言い渡される。

これを幸いに、独自にデッカード探しの旅に出るK。いったい彼は何者(物ではなく)なのか?

木馬を検査すると、かなり放射線の強い場所で作られた物。そこは、ラスベガス。急いで飛ばしラスベガスに行くと、絶滅したはずの蜂が飼育されている。いったい誰が?この廃墟に人が住んでいる。もしやそれは。

元ホテルに入ると、そこに現れたのは、警戒心一杯のデッカード、案の定、問答無用で一発撃ってきた。間一髪で、逃れ逃げ惑い。殺すことが出来ないので、極力、セーブして老いぼれた相手の気を削ぐように仕向ける。それにしても、ハリソン・フォードの老いぼれ感が、なんともいい。

元気なじいさんだけど、もう、老いていて。若いときは大違い。まあ、ガンガン殴ってはいましたけど。初めのブレードランナーを観ている身としては、時間の流れを感じてしまいます。

心の中で、俺ってあんたの息子だよ。なんて、つぶやきつつ、さりとて言い放つほど、勇気も無くて、まぶたの父的と静かに話をし、酒を飲み合うKがなんとも、愛おしくて、いい感じ。

酒を飲んで、うとうと昼寝をして、ジョイも出てきて物珍しくあちこち歩いて、ほっこりとした時間を過ごしていると、突然アラーム音。警察に管理されているKは、常に場所がマップに表示されています。

それを、セクハラ上司をあっさりと殺して、イブが見つけ追ってきた。しかし、警察所のはずなのに、あちこち入って物を盗むは、人は殺してしまうは、いったいどんな管理をしているのだろうかと、ここは、ちょと不可思議です。警察まで力が及んでいるのでしょうか。まあ、脚本的ご都合主義のなせる魔法なのかも。

ここから、Kがあらゆるものを失って行きます。

最愛のジョイ。ロケットを打たれて、衝撃で吹っ飛ぶK。その後イブと格闘になり、案の定コテンパンにやられます。蹴り倒されたときに、ポケットからジョイが入っている携帯端末が床に。

さすがジョイ。とどめを刺そうとしたイブの前に現れて、「やめて!」と叫ぶ。にやりと笑い「我が社の製品を使っていただきありがとう」と言うやいなや、思いっきり携帯端末踏み壊す。

その瞬間に、ジョイが「愛している」

この場面が、もう大大大好物で、表情と声が頭の中に何度もこだましています。今でも。ちょと、おかしいぐらいに。

これだ、ジョイとお別れで哀しくて仕方が無いのですが、これ以上無いほどの絶妙なフェードアウトでした。それにしても、寂しい。

そして、本当の子供が明かされます。

Kが重症をおい倒れているときに、ある者が救いに来ます。それは、レブリカントのグルーブ。今まで人間に差別されて、過酷な労働を強いられていたレブリカントを解放するために人間を武力闘争で倒そうとしている集団。いや、軍隊でした。

そのリーダー格の老婆から、奇跡として生まれた女性がいる。彼女を掲げてレブリカント女王にし、この革命を成功させると聞きます。

思わず、Kが聞き返す。

産まれたのは男だったのでは?

哀れみを持って老婆はKを見つめ、肩を抱く。あなた自分のことを奇跡の子として思っていたのね。事実は、特定されないために、生まれた女性の記憶を、複数のレブリカントに植え付けていた。そのことが分かります。

雨の中、自分はやはり特別な存在では無かった。そう、気を落とし歩いていると、ジョイの巨大な広告が。それは、裸の巨大なジョイが道を歩いている人に語りかけてくる。寂しそうなKを見つけると、近寄ってきて言葉をかけてくる。

なんと、その声のかけ方がKが愛していた、ジョイと同じ。対象に最適な声をかけてくるブログラムだと分かります。おまけに、ジョイがKに名付けてくれた人間としての名前が、広告の中に書かれている。特別ではなく、単に広告に関連した機能だと苦笑いしながら、ビルに書かれた広告を眺める。

特別な存在でも無く、また、自分だけの唯一無二の内容だと信じてきたものも、その他多数の一部だったことが、事実としてKの中へ落ちてきます。

すべて信じていたもの、心の中で希望としていたものが霧散したとき、最後に残されていたのが、「犠牲」誰かのために自分を捧げることこそが、もっとも人間らしい。

そのため、もう自分とは何の関わりも無くなった、人とレブリカントの物語に関わることに。護送されているデッカードの車両を襲い、イブと戦い、瀕死の重症をおいながらもデッカードを救い出し、娘の元に送ります。

ここまでしてくれる彼を不思議な顔で見つめるデッカードに、Kは娘に会いに行くように催促します。デッカードがドアの中に消えるのを確認すると、尽き果てたような、満足したような表情で、階段に横たわります。死をイメージさせながら。

なんにもなれなかった一人の男が、何かになろうとして最大限の行動をした、悲しさが僕の胸を打ちました。この映画の女性がどれも、精彩を放っていたのに比べ、男性はそれを欠いていた。でも、この場面で主役としての責任と存在感を果たしました。

この場面こそが、この長い、ある種退屈な物語のすべてです。

この数年。いろんなブログを入れると、もう十年以上書いているでしょうか。正直、何らかの特別なものが自分にあるからだと、信じているからです。人から、大して必要とされていない自分だからこそ、それを、誰よりも強く信じて、願っているのかもしれません。

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まるで、レブリカントのKみたいに。

人は特別な存在になりたいと思う。自分だけの何かを世の中に発して、それを、適切により多く評価されたい。どうしてなのか分かりませんが、人の心情にはそんな機能が備わっています。

そのために、その一つとして、ブログを書くことを僕は選びました。人によっては、今なら、YouTuberなんてこともあるでしょう。

なんだか、Kと同じだなと思います。

ブログを書いて、人とは違うなにか特別な存在になれると、信じているこのことは、もしかしたら、別の他人の記憶なのかもしれません。

世の中には、数多くのブロガーがいます。その中には、素晴らしい内容を発信している人がいます。その人たちのブログを幾度も読んで、人からの評価、素晴らしい結果を見聞きすることで、自分の記憶に定着し、自分も同じように素晴らしいなにかを作り出せるのかと希望を持ちます。

でも、長い間書いていると、人に愛される文章、表現が、全く足りないことに気がつきます。

何者かになろうとして、何者でも無かった。そのことを知るのです。

自分として受け入れることが出来た、特別な星々が自分と遠く離れていたことを知り、虚無と哀しみが、一面に心に広がります。

これは、特別なことでは無くて、ほとんどの何かをなそうとした人の物語です。しかし、それを真正面から正直に描く、何もない僕たちを描く物語はなかった。なんたって、つまらない。そして、残酷すぎる。

意味が無いということほど、人は哀しいことはない。

この「ブレードランナー2049」は、壮大なSFの形を取りながら、消えて行く多くの創造者になろうとした人々を、正直に描いた驚くべき作品です。だから、何度もこの映画を僕は観たくなるのかもしれません。







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