天才と成功者、そして平凡の価値

「ファウンダー」を観てからもやもやと頭の中で考えています。大した頭ではないのに一体どうしたものでしょう。余計な考えは休むに似たりと言います。

よせばいいのに,休むのは暇なので、ついつい考え込んでしまいます。

天才というのは、ゼロから1を作り出す人です。全く誰もが思いつかなかったことを、生み出す力。これはとても素晴らしいものです。

逆に成功者というのは、1を千にも万にも成長させる人だと思います。

素晴らしいものと出会った瞬間、無限に広がる世界が見えてくる。これが、成功者の才能なのでしょう。

創造よりも想像が得意な人種です。

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意外と天才、創造者はそれができなかったりします。七転八倒の苦しみから創造した結果を、自分の範疇に留めておく。置きたいと願う。その障壁が邪魔をする。

苦労して生み出した子供を可愛くて、自分の手元からひと時も話したくない、親心みたいなものでしょうか。

でも、成功者は他人ですから、この子いいな。と思った瞬間、二人が一つになったときに広がろ様々な出来事を自由に羽ばたかせる。そして、世界が動き始める。

ある意味気楽なものです。

「ファウンダー」のレイ・クロックを見ていると、なんだかスティーブ・ジョブズと同じ気配を感じます。ジョブズ自身も創造者ではなかったと思います。会ったことはないので、事実とは違うかもしれませんが。

彼の成功物語は、誰から創造した素晴らしいものを、一瞬で見つけそれを自分の懐に取り込んで、世界に拡散することが基本でした。

MacOSもそうでしたし、iPhoneやiPadも誰かが作ってそれを彼が認め、世に出ました。ジョブズは素晴らしい経営者、イノベーターに違いありません。でも、創造的な天才では無かった。しかし、創造者に憧れて価値を理解していたのは間違いありません。

それから、口が上手かったのもレイ・クロックと同じですね。この手の人間は口がとても達者なようです。

自分の中にある目的、目標みたいな願望を人間的規範、常識、愛情よりも優先する。

ジョブズのことばかり書いていてはなんなので、もう一人の成功者。有名人。ジョブズよりも実質的には自他共に認められている人。ビル・ゲイツ。

彼はMacOSの素晴らしさを誰よりも理解して、それをギリギリの線で模倣した。OSに特化しハードは他に任せて一気に市場を広げました。Appleは独自のハードにこだわっていたため、それが安定して使い勝手が良いPCを作り出すこだわりだったとしても、市場に取り残されてしまいました。

ここまで書いて、なんだか気持ちが重くなってしまいました。

新たな何かを発見して、それをどこかの誰かが感動して、勝手とは言いませんが、自分の垣根を勝手に越えられて、世界の誰かが喜んでくれる。

なんだか、食物連鎖みたいです。

生まれた瞬間に、食われて、それがまた食われて、世の中が回っていく。弱肉強食というと表現が変凡で平坦なのですが、常に良くも悪くも変化している。それも残酷と歓喜を双方併せ持って。

天才にも、成功者にもなれそうもないし、それをほんの少しかじっただけで、疲労と血が溢れ出てしまいます。

多くの人が天才や成功を望んで、もちろん僕ものその一人ですが、せっせと、本で読んだ習慣を身につけようとしたり。僕なんか最近まで金持ちになれるからって、長財布を使っていました。不便で仕方がないのに。

しかし、光があれば影もある。一度手に入れると光で作られる影の暗さと重さに押しつぶされてしまうでしょう。

こんなことを考えると、巷に溢れる成功なんとかなんてやめにして、普通に生きることの意味を素直に語る何かの方が、今旬なのかもしれないと、成功を諦めた頭で考えたのでした。

でも、天才も成功者も世の中から消えないでしょう。彼らがいなければ、世界が変化して成長しない。良くも悪くも。転がっていくしかない世界は。

それを考えると、天才も成功者も個人の資質の問題ではなく、もっと、上の方から指図された結果としての存在なのかもしれません。それは一体なんのかそこは野暮なので言いませんが。

うだうだと書いたのでこの辺で。つまらないことを考えたら、疲れてしまいました。







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