高松にて。消えゆく本屋に思うこと。

前に近所の本屋が無くなって、ショックで立ち直れないなんてことを書きました。今でも仕事の帰り、無意識に本屋の灯を求めています。

情けないやら、悲しいやら。

このまま地上から本屋が消えてしまうのかもしれない。そう思うと背筋に冷たいものが。



この問、高松ヘ出張しました。仕事を終え、うどんを食べなきゃと、どこにもあるチェーン店のうどん屋に入り、かけうどんと天ぷら、それに、おにぎり。

高松まで来て、近所にもあるチェーン店のうどん屋とはお粗末な話しですが、お値段が安いし、どこでも安心してうまい。それに、本場高松の美味しいうどん屋は閉るのが早いのです。

腹も満たされ、気持もゆるみ、気分良く商店街をふらふら歩いていると、思い出したのです。

そう言えば、この商店街にかなり立派な本屋があったはず。ホテルに戻るのはもったいない。本屋によってゆっくりと立読みでもしよう。記憶を頼りに本屋に向います。

その本屋かなり充実しており、小説、実用書、ビジネス書、雑誌などが整理されて美くしく並べられていました。

本屋が入っていたビルに着きエスカレーターで2階へ、確かここにあったはずと見渡せど、影も形もない。おかしいなあ階を間違ったのか?とエスカレーターで上に行ってみたけどやはり無い。

高松一番の商店街の、一番目立つ大きな十字路にあった立派な本屋が消えていたのです。高松おまえもか。驚きと寂しさで立ちすくみました。



少し前までは、街の豊かさ、生活の豊かさから産まれた知的文化の象徴として、(田舎育ちで身の回りには書物を読む習慣が無かったせいか余計に思ってしまうのかもしれません)一番目につく場所に必ず有った本屋がその特権と使命を必要とされなくなってしまったのでしょうか。

そう言えば、大好きだった街の個性ある古びた映画館は、今やすっかり消えて無くなりました。本屋も同じ運命をたどっています。

もう、ディスプレイの中にしか存在しなくなるのでしょうか本屋は。

なんだかこんなことを考えていると、僕という人間は静かに確かに消えていくものに愛着を持ってしまう性質なのかもしれなと気がつきました。似たもの同しだからでしょう。

こんな事を書いていたら無性にでっかい本屋に行きたくなりました。今度丸の内オアゾの丸善書店に行ってみようかと思っているところです。



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