映画

TSUTAYAかとうとう動画配信に本気をだすか。 映像配信「TSUTAYA TV」リニューアル–見放題

 

↑この記事のネタ元です。

カルチュア・コンビニエンス・クラブのグループ会社T-MEDIAホールディングスは、映像配信サービス「TSUTAYA TV」をリニューアルした。新作コンテンツを含む見放題プランを用意したほか、ユーザーインターフェースなどを刷新した。

動画配信が次々と発表されて、どれが一番良いのか迷いそうです。 今回、とうとう日本のTSUTAYAが動画配信を刷新して提供します。

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映画版「PSYCHO-PASS」を観て,民主主義以外の社会政策の必要性を考える。

 

PSYCHO PASS

「PSYCHO-PASS」のDVDレンタルをしていたのでさっそくレンタルをして、 観てみました。

さほど期待していなかったのですが、結構面白くて楽しめました。 2時間ほどにまとめてアニメを見せるのは、以外と難しくてまとまりがなかったり、 間延びしたりして公開することが多いのですが、この作品はオリジナル作品として、 とても良くまとまっていました。

正直、TV版の2期がPSYCHO-PASSらしさが薄らいでいて、今ひとつのところが ありましたので、今回もそれを引き継いでいるかもしれないと危惧していました。 でも、1期の緊張感と緻密なストーリーを見事に再現していて、これこそか2期と 言っていいほどです。

とにかく、映像が素晴らしく場面一つ一つに惹きつけられました。この映画の企画段階で、 かなり練り込んだのが感じられます。

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今や映画は映画館で観た後に、DVDで吹き替え版を観たらいい。

 

Lincoln

海外の映画は基本、字幕で観ます。十分判った気になっていますが、 どうもそうでは無いようです。やはり、言葉は重要で、省略されて いる。字幕では物語の本質を見逃す可能性かあります。

このお盆休み、映画をレンタルしていくつか観ました。

特に印象に残ったのは「インターステラー」と「リンカーン」 じつはどちらも映画館ですでに観ており、内容は判っていました。 それでも借りたのは、会話が重要な部分を占めており、一度観たぐらい では内容を把握出来ていないのではと、思ったからです。

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進撃の巨人は久しぶりの大怪獣映画

 
AttackTitan

進撃の巨人は久しぶりの大怪獣映画

進撃の巨人を観たある人がドラマ部門を観なければ傑作だと言っていました。 まさにその通りで、怪獣映画、ホラー映画としてみれば最高に楽しめる映画です。

とにかく、余計なものをそぎ落とし、小気味いい演出に徹した、破壊と戦いのシー ンは、よく頑張ったと拍手ものです。

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イオンシネマ系の「ワタシアター」で映画1300円クーボン配布。

 

Watasi2

イオンシネマ系の「ワタシアター」で、7月31日まで1300円で映画が観られるクーポンがもらえる。

イオンシネマ系会員サイトの「ワタシアター」で、1300円で映画を観られるクーポンを配布していたので、申し込んでみました。

登録して、近くのよく行く映画館を登録すると、クーポンがもらえます。

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映画版の「進撃の巨人」がやたら評判がいい。

 

AttackTitan

映画でなければ出来ない、実写でなければできない、本当の恐怖と絶望を余すとこなく表現した、全く新しい「進撃の巨人」。原作者と綿密な打ち合わせを重ねて練りに練られた脚本が、完全新作としての進撃の巨人を完璧なものにしている。

あんまり期待したいなかった映画版の進撃の巨人が、出来がかなり良さそうです。 期待していないなんて見てもいないのに、とても不謹慎な話ですが、アニメの実 写化で成功した例は少ないですから。

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「her」人ならざるものとのAI(愛)

 

Her

「her」を観た。
前から観たかった映画だ。
正月の深夜に眠れないので、少しだけと見始めたら、
止まらなくなり、最後まで観てしまった。

監督の持つ、世界観に一気に引き込まれ、台詞の
美しさに酔った。

言葉の重なりで物語が進み、それが、しっかりとした
ストーリーで流れていく、一つ一つの場面が繊細で
美しく、孤独で寂しく、それでいて微かな希望に着地
する。

本当にいい映画だ。

近未来の世界で、人口知能が発展し、このように言葉を
交わすことが出来れば、幸せなのか、不幸なのかそれは
判らない。

人は変化して、自分の事を自然に、知らずに、優先して
語り合う。この映画でも、愛し合っていた普遍の対が、
片方の変化で愛が憎しみに変わり、哀れに消えていく。

これは仕方が無いことかも知れない。それに、現実は
もどかしく、自分を思いやって言葉をかけてはくれな
い。誰かと生きるということは、そんなことだ。

いついかなる時でも、思いやりの言葉をかけてくれる
のは、肉親しかいない。それも、かなり思いやりにあ
ふれた希有の親しかしない。

その垣根から飛び越え、自分の思いとは違う、思いと
生きていくことが、社会の中で生きることである。

それが生きられないならば、世の中では不自由なこと
ばかりだ。

たが、サービスを与えるために製造された、AIは言葉
の高低、心拍数の強弱、発汗の具合、脳波の形などを
繊細に微妙に察知して、何万というビックデータの中
から、最適な思いやる言葉をかけてくれる。

生きることが、他人との交わりが、言葉の明確さが
苦手な人間には、AIに愛(AI)することは必然である。

そしたら、本人は幸せに違いない。だけど、どうなの
か?疑問も残る。でも、遠い存在しか自分のまわりに
いないのなら、一つの過程として必要になるかもしれ
ない。

そう言えば、ホーキング博士が人工知能のリスクを
警告しているとの記事があった。やはり、歯を食いし
ばっても孤独をAIと分かちあってはいけないのかも
しれない。

なんだか、人の生き方やら、未来の人工知能やら、
いろいろ考えさせられた。

なお、映画ではスカーレット・ヨハンソンがAIの声
をやっていたのだけど、吹き替えはあの林原めぐみ
だった。実は、どうしても林原めぐみ版を観たくて
吹き替え版を観た。

会話が重要な映画だったし、林原の声が素敵だった
ので、吹き替え版が胸に迫った気がした。もちろん
後からスカーレット・ヨハンソン版も観たのだけど、
感情をあらわにする言葉には彼女の方が良かった。

単調なさほど大きな事件も無い、一人の男の心の
彷徨いを、会話で描いているだけなのに、こうまでも
身につまされるのは、ほんと素晴らしい。

音楽もわすれてはいけない。カメラも。隅々が一つ
に物語りの色調に合わされて、かけがえのない存在
になっている。

この監督の繊細で、明確な演出のおかげだろう。
全くの嘘物語なのだけど、それに真実を上手い具合に
織り込んでくる。絵空事を真剣に真実として描く、こ
の監督の思い切りのいい演出は好きだ。

最後の落としどころも何とも言えず、うっすらとした
人と人との関係への希望も描いて、それが、出しゃば
らず、心地よく、いい塩梅だった。

とっても、うれしい時間を過ごせた。心からの感謝
しかない。そんな、映画だ。

「フューリー」冒険の幸福な結末。

「神は細部に宿る」そんな言葉がある。
細かく、細かく、隅々まで、最善の最高のまなざしを
むけ、かけがえのないものを作り出す。

デヴィッド・エアー監督の「フューリー」を観た。

神という言葉が憚られるならば、神と同様のまなざしを
持った、監督の視線が細かく、細かく、隅々まで意思を
持ちむけられた作品だった。

ハリウッドの量産型大作が幅をきかせる昨今。
映画を創るものとしての監督の存在が希薄になって
来ている。

残念なことだ。

確実に利益を生まなくてはならない
今の映画だから、一人の人間の力量に左右される
ことは許されない。それは判るが、映画の神が薄ら
いで、耐えようのない空虚感が支配する、そんな
映画が増えてしまった。

しかし、この映画は、それが無い。

キャメラが、ストーリーが、人が、モノが、草木が、
一つの視線の先に束ねられて、重厚な物語を作る。

よくもまあこんな濃密で集中された作品が出来たものだ。

登場するドイツのティーガー戦車は数少ない現存する
ホンモノを使用している。その戦闘シーンの一つひとつ
は、戦慄を覚えるほど旋律を奏で、観ている私を魅了
した。

臨場感のある戦闘シーンだと、ただただ、ぶれた映像と、
乱雑なカット割りで、乱暴に投げ捨てる監督が多い中、
はっきりとした見せる意味を持ち、一瞬たりとも、無意
味なものがなく、消炎と爆音と悲鳴の中で、途方に暮れる
こともない。

細かく、細かく、華やかに、意思を持つ、悲惨なシーンだ。

この監督がどれほど今の映画界に影響を与えているのか
わからない。が、他を意に介さない傍若無人な創造者で
あることには間違い。

そんな独裁者が撮った、独裁者を倒す映画。とても楽しんだ。

もしかして、唯一監督が譲歩したのが、ハリウッドスター
のブラッド・ピットの起用だろうか。それがないと、
人は今よりもっと劇場に足を向けない。致し方ない事実
として。

だけど、決してそれは悪くなく、彼はスタートしての華やか
さを、匂い立たせながら、演技者としての意思を見せている。

彼がでてなければ、正直言うと、やっぱり映画は沈殿する。
スターというのはやっぱり映画を浮かび上がらせる。
いい意味で。

そう言えば、若手で人気が出ているシャイア・ラブーフも
でていた。彼はあまり好きな役者では無い。顔がとても
弱く感じ、人気はあるが、深みは薄いと、見ていた。

それがこの作品では、戦闘の中で追い込まれ、綱渡りのよ
うに生きることを望む、戦車兵の全てを私の嫌いな彼の
顔で表している。

この作品を撮る前、役者たちは集められて、兵士さなが
らの訓練を受けた。その中、あまりの辛さに、弱音を吐く
役者が多かったようだ。また、撮影前には役者同士で、
殴り合いをさせ、否応無い暴力を体に染み付けた。

彼らには悪いが、細部にわたり徹底した意思と行動に司られた、
映画であることを、私自身もヒシヒシと体で感じ、歓び
に満たされた。

今日、月曜日はイオンモールの映画館では、1100円で
映画が観られる。久しぶりに映画館で映画を観たいと、
衝動に駆られた私は、映画館に飛び込んだ。その、ちょ
っとした冒険は見事に私を幸福にした。この映画のおかげ
である。

「ブルージャスミン」残酷な優雅

 

Screenshot 

 

 「ブルージャスミン」残酷な優雅

 やっと、ウッディー・アレン監督作品の「ブルージャスミン」

を観ることが出来た。
絶対映画館で観ようと思っていたけど、近所では上映期間
がとても短く、いつの間にか終わっていた。
ようやくDVDがレンタルされたので、いつもは値段が高い
新作では借りないのだけど、奮発して借りた。
 
結論として、予想通り素晴らしい作品だった。
旦那の詐欺が発覚し、一文無しになったセレブ妻が、
低所得の妹の元へ転がり込んで、地道に働くのかと思えば、
相変わらず昔の生活が抜けきらず、足下に地に着かない危う
く、苦い生活と続け、最後には笑えない結末になる。
 
それを、ウッディーアレンは、まるでファーブルの昆虫記
みたく、克明に冷静に観察し続け、対象にまったく干渉せず、
感情移入をいたずらに起こさせ描ききる。
 
この作品、コメディーとして分類されているが、辛辣な内容
なのにそう分類されるのは、そう思わされるのは、ひとえに、
彼の徹底した、傍観者、観察者としての演出ゆえだ。
 
ウッディーアレンはユダヤ人だけど、ユダヤ系の監督の中には、
分厚い水槽から、じっと見つめるような、突き放した演出を
する人がいる。彼もそんな一人だ。
 
だから、余計に感情を入れさせることはしない。
 
最近は、社会問題を取り扱った作品が、アメリカでも、日本でも
多いが、どうしてもリアルな現実を表現するため、過度に入り
 込んだ演出をして、悲しみやら、痛みやらを、観るものに注入
させる作品が多い。
 
それも、悪くは無いし、名作の誉れを受けるものも多い。否定
はしないし、必要な芸術作品である。
 
だけど、そればかりじゃと思う。映画で切々と現実の労苦をぶつけ
られるのは正直哀しい。現実をそのまま描くのじゃなく、そこに何
かを加えて、ある種の美しさを与えるのが演出の妙味だと思う。
映画を観る意味だと思う。
 
最近、出来るだけそのまま出す、社会派と言われる作品が
 多くてちょっと辟易している。演出者の映画としての作法と、
成熟が欠けている気がする。勢いがいいことが、追い込む演出が、
いい作品を生むことには間違いないが、そこに、演出者の視点が
欠けているのが少しさびしい。
 
それにしても、ウッディーアレンの徹底した観察者としての視点
の中、ケイトブランシェットの演技が冴え渡る。名演技者として
の底力を存分に出し切った演技で、本当に敬服する。
 
この人の演技力には定評があるが、いかんせんそれを正面から
受け止める監督が本当に少ない。その分、今の映画にはそぐわ
ないのかもしれない。大上段にかまえた演技はどうしても、
演出者が作り出す画に力量が必要になる。
 
それが弱いと、ただただ、浮いた場違いな演技となっていまう。
だからそれを少しでも薄くするために、彼女が出来る映画は、
ファンタジーだったり、歴史物だったり、絵空事が前提となって
しまう。
 
その大仰な彼女の名演を、ウッディーアレンは透明で、分厚い
ガラスの水槽の中に閉じ込めて、その中で、思いの限り泳がせて
いる。彼の、舞台作りの勝利で有り、その中で力の限り泳ぎ切る
彼女の勝利である。アカデミー賞を取れたのもうなずける。
 
それにしても、ウッディーアレンという人は、実に、シニカルに
冷静に現実を見つめる。彼女の大演技が冴え渡るほどに、力強く
前進するほどに、惨敗した人生を受け入れられず、朽ちていく、
正直なそしてか弱い女性を写し出す。
 
完璧と言える彼女の演技、そして、それを得る為に、何事にも屈
しない彼女の犠牲的人生。司る精神。そう、彼女は完璧である。
そう努め、そう生きている。だから、なにか人が誰しも持つ、
軟弱な迷いは感じず、機械仕掛けのような空虚感を感じてしまう。
何事にも同調せず、何事にも憐憫を感じない。他からも、自らも
現実を拒否している気がして、どうしても感情移入出来ない。
 
確かに、巧みで寸分違わない見事な造形を持つ演技だけど、
そこに心の触手がまとわりつかない。
 
その、完璧である故、遠く感じる彼女自身の表現を、心の無い
彼女の人生を、見事に捕まえて、水槽の中に落とし込み、泳がせて
えもいわれぬ哀れを私たち鑑賞者に見せてくれている。見事の
一言。観察者の視点の冷酷な透明度の美しさ。
 
ファンタジーといえるセレブな生活。そこから、追放され市井の
下世話な現実にはまってなお、ファンタジーを追い求める性。
その、構図が痛々しく、寒々しく、平坦に浮かび上がる。まるで、
エリザベス女王の様にしか、表現できない彼女の演技から。
 
それを、観るに。本当にウッディーアレンという人は、冷酷な
芸術家だし、それを分かっていて受けた、ケイトブランシェット
は、失楽園を選ぶ縁者としての完璧な覚悟がある。
 
そんな、残酷な現実を。こじゃれた音楽と、うっとりする優雅
なキャメラで描ききったこの作品を、どうして嫌いだと言えよう
か。久しぶりに豊かな時間を過ごせた満足感でいっぱいである。

 

   




 

 




 

 

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雄叫び上げるゴジラの奇跡

 

 Screenshot

 

雄叫びあげるゴジラの奇跡

ぬるい演出でもどかしさもあったけど、
特に渡辺謙さんは口半開きのあんぐり演技で
今ひとつのれなかった。

この監督の演出には切れがない。それは、脚本
のせいかもしれない。話しに深みをもたせようと
したせいか、かなり回りくどい。

たしかに、決めるときには絶妙にいい画を作って
才能の片鱗を見せるのだけど、それが、全体につ
ながらない悲しさがある。

この辺、やはり同じオタクでも「パシフィック・
リム」を撮ったギルレモ・デルトロの方が一枚も
二枚も上手だ。

で、批判は思う存分書いたので、結局どうだった
の?と聞かれると、正直答えて、もう最高に面白
かった。それ以上に胸を打った。

なんだか、話が違うじゃんと言われれると、ハイ
そうですと、頭を下げるしかないのだが。やっぱり、
分かっているね〜と、高まる胸を押さえきれない
のは事実。もう一回観たいそう思わせる作品だった。

さて、僕が何の映画を観たかというと、「ゴジラ」
ようやく日本で公開されたそれを、今日、映画の日
に合わせて観に行ってきた。

とにかくゴジラの映画だ。

ゴジラが最高に輝く映画だった。描き方がにくい。
モンスターパニックにせず、ゴジラを荒ぶる神とし
て描く。それが潔くてかっこいい。

自然の秩序を人間が乱し、それを正す人の範疇を
超えた自然の猛威として、最後までぶれず描ききる。
かえって、ぬるい演出のおかげでそれが実に際立っ
ていた。

ゴジラがスクッと立って、あの懐かしくも心地よい
雄叫びをあげる度に、拍手喝采だった。日本じゃ
さすがに実際拍手する人はいないだろうけど、米国
では終わった後にあったようだ。その気持ちは痛い
ほどわかる。万国共通だ。

演出とか、演技とか、カメラワークとか、編集とか、
脚本とか、それを超えた映画の感動があったことを
知ることができた。とても、いい映画だった。
いや、ゴジラだったと言った方がいいか。

雄叫びを聞くだけで、全てをわすれて感動できる、
まさにゴジラの奇跡。

すでに続編も決定したようだ。なんだか今から
楽しみでしょうがない。きっと観るだろうな。

 

 

 

 




 

 




 

 

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