泊まったことのあるホテルが破産のニュース。世界が変わるその先に何をすべきか考えた。

カプセルホテル経営のファーストキャビンが破産申し立て 新型コロナ禍で客足減 – ITmedia NEWS

帝国データバンクによると、カプセルホテルを経営するファーストキャビン(東京都千代田区)とその関係会社4社が4月24日、東京地方裁判所に自己破産を申請した。負債額は5社合計で約37億円。新型コロナウイルス感染拡大の影響で客数が落ち込み、資金繰りの悪化が顕著になったという。

ファーストキャビンが破産

このホテルは前に何度か泊まったことがあります。大阪に行った時に、手頃なホテルは全て予約で満杯。泊まれるのは高くて予算超えている高級ホテルばかり。

カプセルホテルにしようかとも思ったのですが、狭いカプセルホテルだと、仕事の道具やMac等々荷物が多くて置けない。そこで、値段も手頃、カプセルホテルよりはスペースがあるファーストキャビンに泊まりました。

この数年は全く泊ることはなかったのですが、久しぶりに名前を聞いたと思ったら、自己破産を申請したとの、穏やかではない話でした。

ただ、一部ホテルは自己破産を申請したファーストキャビンとは別会社が運営しており、運営を続けるとのことです。

観光業の厳しい現実を他山の石として

観光業界は深刻な影響を受けています。これからも観光関連の業種が厳しい現状にさらされるに違いありません。観光客やビジネス客など、通常の宿泊とは別の収益手段を模索しなくてはならない変化の時が来ています。

それは、他山の石として、他の業種も受け止める必要があるのは間違いありません。もちろん個人でも。いつまでも、生活基盤となる収入源があるか、全く見えなくなってきているのですから。

知識も知恵も差別化も無く

今の僕は、手っ取り早く体を使い、外に飛び出し、なるべく低能をカバーするように取り繕って生きてきました。大した結果も無くとも、人並み以下の生活を辛うじて続けながら、生きることができた。

が、とにかく知識も知恵の戦略もなく、人と差別化できる才能も無い人間にとっては、とても厳しい世界になる。かもしれない。

少なくとも、それを見越して考え、行動しなくてはならない世の中になろうとしています。

特別な才能のみが残る

極論を言えば、その人がもつ特異な才能。完全に人と差別化ができる能力が無いと、世の中から消えるしかなくなるかもしれない。まるで、デストピアのSFのような世界がこれから待っているかもしれません。

それに囚われる前に、限りなく素早く動き自らを変化させることが重要であり、逃げ切った人間には、今とは違った恩賜が与えられる。

今の現状が続けば、会社自体の意味と価値がかなり崩れていく、日本独自の会社に対する帰属意識が薄まるかもしれない。良い面もありますが、安定した生活は自らの才能で築いていかなければならない厳しい生存競争が日常茶飯事の世界になります。

かなり昔から、耳にタコができるぐらい日本社会の中で謳われていた事が、本格的に必要になってくるのでは無いか、それを、選ばなくては先はないのではと思います。

個人が創造者、クリエイターとして、自らの才能を磨き上げ、発信することで希少な存在になりその結果、生活の糧を得る。

帰属する場所を捨て去る

仕事自体も、会社で皆が集まり、組織内でそれぞれの分担が不透明ながら、不自然ながら結果を出してきた形から、リモートワークで個々の能力に合わせ、仕事をパーツに分け明確な分担と責任のもと、仕事を行っていくようになるかもしれません。

リモートワークなので、結果が出ていれば時間で縛る必要はなく、また、人間関係で発生する社内政治に足元をすくわれることも少なくなる。

結果さえ満たされていれば、帰属している会社以外の活動も出来るようになります。

かえって、会社への帰属意識を捨て去れる人の方が、多様で流れの速い変化に、対応しやすく、生き残りやすくなります。

ディストピアを超えるのは何か

書きながら、こんなフィリップ・K・ディックの小説みたいな世界を考えていたら、結局最後に残るのは、創造者つまり芸術家や起業家、それと特殊技術の持ち主(すごいプログラマーとは)、なのではないかと思ってしまいます。

誰にも真似できない特別な存在ですし、世の中に影響を与え、より良くする変化を与えることが出来る。よくある自己啓発やビジネス書でも、結局のところ、成功するにはこの二種類の人間になるようにと締めくくっていることが多々ある。

でも、石をぶつけたた芸術家や起業家に当たるなんて世の中は未だかつてなく、本当に希少な存在です。正直、僕なんか長年コツコツ文章を書いたり、写真を撮ったり、イラストもどきを書いたりしてきましたが、結論として凡庸の延長は凡庸に帰結する。

多数の人に評価されている方の創作物を見ると、時間の経過や物量ではなく、もう、瞬間これはいいなあと感じさせる。そんな、創作物としての力がある。

もちろん血の滲むような努力をしてきた方も多々あります。でも、その努力する凡人にはできない。誰だったでしょうか、どこかの天才が、「努力ができるのが天才」と言っていました。もう、そんな感じでやっぱり僕とは違うことを痛感します。

これからの世界は、彼らのみしか生きることが許されなくなり、それを見つめて死ぬか生きるか抵抗を試みる愚かさだけが武器となる。そして、その他大勢の群衆の中でたたずむ者は、ただ消えゆく。そんな哀しいものとなるのでしょうか。

明るく希望を持って続けること

いやいや、調子に乗ってうだうだ書いてしまいました。なんだか、最後はかなりネガティブなことになってしまい、面目ありません。どんな時にも、明るく希望を持ってが、人生を切り開くために、何よりも必要なことなのかもしれません。

こうしてささやかでも創造することを諦めず続けていることは、僕にとっての明るい希望への大切な行為なんでしょう。

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