ようやく「ジョーカー」が腑に落ちた。そんな話。

Netflixで「ジョーカー」が配信されている。これは見ないわけにはいかない。

劇場で見た作品だった。でも、その時には少し離れたおじさんの、なんとも言えない匂いがトラウマになるほど気になって、全く集中できなかった。

これは、もう一度ゆっくりと見直さなければと心に決め、何度かAmazonやApple TV+などでレンタルをするキワまで行ったが、結局はせずじまい。

そのうち風の噂で、Netflixが配信すると耳にした。これは、もう少し待っていたなら、わざわざレンタルしなくとも、Netflix会員の僕は、再び「ジョーカー」と相見えることができる。

噂は真実。7月に入り大きく彼の顔が画面に映し出されることになった。





iPad Proにダウンロードし、今度は誰にも邪魔されない環境。僕の唯一1人になれる場所、誰の意識も入り込んでこない場所、つまりは我がオンボロ車の中で観ることに。

見直して改めて驚いたのが、主演のホアキン・フェニックスの凄いこと、凄いこと。

そんなこと誰でも、彼でも、毎日テレビに出ている誰もが知る評論家や、道端の茶店にいる自称評論家の映画好きまで、したり顔で言っていることだ。

それでも、言いたくなってしまうのが、美意識の鋭敏さなのか、通り一辺倒の意識しかない貧困さなのかは分からずじまいだけど、やっぱり、渾身のなんとか、神がかったかんとか、なんて形容詞を付けたくなる。

こうして見直して感じたのだが、これだけ「ジョーカー」を演じるホアキン・フェニックスの魅力にそれのみに意識が集約するのは、他のことは潔く切り刻み、人の目に残る部分を最低まで捨てた演出の巧みがあってこそではないか。

ホアキン・フェニックスのために、彼を黒く鈍く輝かせるためだけに、この映画一本を撮り切った明確な姿勢を感じる。

ただ、お話がわかりやすく、俗に言う“腑に落ちる“物語ではない。





表面的に流れている物語だけど、そのままでは嫌な引っ掛かりがある。あちこちにぶつかり、傷を作り、それをすっきりとは癒さず、痛みを残したままの哀れな疾病者として放り出される。

この物語「ジョーカー」に至る経緯。事実と感情の軌跡。と、聞いていた。

だけど、何か違う、全く違う。本当にこれは「ジョーカー」なのか?彼は「ジョーカー」になったのか?

どうしても、彼がそうは見えない。世界から拒絶されて、見放され、その中で凶器が宿り“変わる”男の話だけど、確かに、殺人を起こしても全く何も感じない男の話だけど、「ジョーカー」に変化したとは思えない。

事実、よく知る物語の「ジョーカー」とは、小さくとも決定的に重要な場面が違う。

彼は確かに殺人者となった。が、全体を扇動する悪としてではなく、実に私的で小柄な悪を行う。その結果、話が周囲を巡り遠心力を持ち、強く早く回転して無数の「ジョーカー」を生み出して行く。

本質的に彼は蚊帳の外。





決定的だったのが、バットマン(ブルース・ウェイン)の父親トーマス・ウェインが暴漢に襲われて殺されるシーン。幾度となく見たこの場面で、彼を殺害したのは紛れもなく「ジョーカー」

それが、この作品では名も無き男。

もちろん、物語の設定など、演出者の考え一つでいかようにも顔を変える。この物語の変化もそうしたかった、それが良いと思えたからだけ。本質的な部分で気にすることはない。

と、割り切ろうとしたのですが、そんな、大雑把で投げやりな演出のまま、これだけ知的巧者の演出者が行うのだろうかと、奥歯に物が挟まった感じで納得していなかった。

が、これが正解かどうかは藪の中なのだけど、一つの推測としてとても納得した解説があった。

その解説によると、最後の最後、「ジョーカー」であるアーサー・フレックが精神病院と思われる個室で、手錠をされたまま精神科医?風の女性から、カウンセリングを受けている。

その時、突然ニヤニヤ笑い出す。それを訝しく思った女性が、何がおかしいのかと問いただす。すると、彼は「面白いジョークを思いついた」「話してみて」と女性。が、「話しても理解できない」と答える。





その後、血で赤く染まった足跡を廊下に点々と残しながら、踊りつつ歩いて行く“彼”が映り、映画は終わる。

ことの時、僕はこれは捕らえられた「ジョーカー」だと、信じて疑わず成り行きを見守っていたが、その解説によると、彼は「ジョーカー」でない。今までの長い長い物語は、実は彼が思いついたジョークなのだ。

「ジョーカー」の物語は彼が思いついた妄想なのだ。

「面白いジョークを思いついた」と語った彼の頭の中の物語を、僕たちは共に観ていた。

時々こんな夢落ち、と言うか、物語をチャラにする残念極まりない話がある。都市伝説では、かのドラえもんも、実は重病で死期間近ののび太が、病院のベットで見ていた夢だった。なんてあった。

普通は、ガッカリして立腹するのが常だが、凶悪な精神病者の一瞬のジョークと言うのは、とてもとても腹にしっくりと収まった。そして、なんだか物語全体が面白く笑うことができた。

この説が演出家や演者の意図するものか、審美眼のない僕には全く分からない。でも、これ以上ないほど、納得したのは事実である。

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