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映画はファンタジーだ。
有り会えない話を、どれだけ自分の現実とリンクする
事が出来るのが、重要である。

非現実の物語から、現実を読み取り、体感し、希望や
絶望を感じ取れるかが、作品の質量に関わる。

最近、現実を元にした作品が増えた、それで言うと、
映画としての生命は危うい。人の想像が希薄になる。

作り出す力が弱くなっているのだ。安易に想像を絶
する現実をなぞるのでは無く、徹底して、絵空事を
捻り出し、僕たちに見せて欲しい。それが願いだ。

今回、インド映画の「きっとうまくいく」を観た。

全くの絵空事の物語の中、最後まで心地よく、重く、
楽しんだし、考えさせられもした。

分かっていながらも、世界のどこかで、理解出来る
現実が動いている躍動感を感じた。

インドではまだまだ映画が娯楽の王道である。
それにより、主体としての力強さと、創造者の豊富さ、
高さを見ることが出来る。

娯楽として、徹しているインド映画。非常識なまでの
長時間な上映時間。この映画でも3時間あり、途中
休憩が入る。話の途中で唐突として始まる、歌や踊り、
シリアスな映画を見慣れた僕たちにとって、違和感や
嫌悪感を感じさせるほどのものだ。

しかし、その感情はそれは誤りだったことを知った。

華やかな娯楽の奥に、伝えるべき真実が有り、それを、
デコレーションケーキのような、物語の中語るから
よりいっそうきわだち、胸を打つ。

悲惨な現実であっても、それを、放り投げればいい
と言うものではない、映画など創造的作品は。

昔のアメリカ映画はそれが実に上手かった。

甘く、華やいだ演出の表面を少しめくると、どうし
ようもない生活があり、それをまためくると、生き
る事への肯定的な生命が脈打つ。

絶望と希望が一つになる。

それだから観客は、分かることの出来る観客は、
声高に現実を投げつけられなくても、それにより、
傷を負わなくても、痛々しい事実を知ることが出来る。
また、現実の先に希望もあることも知る。

これが意外と出来ない。社会全体の矛盾を抱えた
勢いが必要で有り、もちろん、その国の映画界の
主体性も関わる。今のインドでは、多くの社会不安、
格差、理不尽な差別を抱えている。

急速な社会の発展から来る絶対的な力と、それに押し
つぶされる人々。国際社会の世相とは反する因習を
残しながら、外骨格は欧米の社会規範の中に入ろうと
する不安定な社会。

その中だからこそ、これほどまでに甘く、切なく、希
望に満ちた社会と、人生への問いかけができる。

この作品は、その問いかけが、あまりにも見事な映画
である。

 

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