凡庸日記 2021年

早いもので、今年もあと1ヶ月。

月並みな言葉だけど、本当に今年は早かった。終わったとは言いたくないが、12月に入ったいま、それは2021年が残り1ヶ月ということ。

そう言えば、今年は淡い期待で始まった。

占いに多少の興味があり、ついつい年初めには一年の総運を確認してしまう。悪いと言われてしまったら、貴重な一年間を塞ぎ込んで過ごしてしまう、目もあてられないことになるのがわかっているのに。

今年の初めもしかり、占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦、気にしないもんね。なんて、うそぶきながら、チラチラ片目で雑誌やネットで確かめた。

そうするとどうだ。今年は今までになく、発展的変化が訪れる貴重な年だと言っているではないか。

今までのあれやこれやが報われて、飛躍的結果を得るだろうとある。それが、複数の占いで言っていたのだから、単純な脳髄はそれはもう鼻息荒く、明るい(だろう)今年一年に胸を膨らませ、一歩足を踏み出したのだった。

そして、いまか今かと飛躍的で充実した出来事を待ち侘びて、あと1ヶ月。どうだったのだろうと振り返るに、そんなことは無いなあというのが正直な感想。

もしかしたら、我が身の預かり知らぬところで、すごい変化と成果が生み出されているのやもしれないが、そんな気配は全く無く。このまま、静かに着実に2022年を迎えるのだろう、そんなもんだよ我が人生と、鼻歌を歌っている。

ただ、飛躍な成果はなかったけれども、今年は未だかつて無いほどの大掛かりな仕事が舞い込んで、周囲からはこんなもんできるかいな?と懐疑的な視線を背に受けながらも、ありとあらゆるツテを引っ張り込んで、我が身のお粗末な能力を埋めあわせ、なんとかかんとか終わらせた。

これがもし転んでいたら、それこそ社会人としての終焉を迎えていた。人生の墓穴を掘ることになった。今振り返ると、背筋が本当に寒くなる。乗るかそるかの大博打だった。

そう考えると、十分飛躍したし満足いく年だったのではないかと思う。

だけど、これからの人生がより良く展開するような希望と約束を含んでいるとは言えない。無事に終わったのは良かったが、それで終わり。それ以上でも以下でも無い。対して変わり映えのしない、苦役が続く。

認められて年収の上がるわけではないし、立場も上がるわけでもない。ドラッカーの言うところの「顧客の創造」(新規収益の柱)なんてどこにもなかった。

それに、密かに理想として期待し胸に秘めていたのは、仕事などではなくて、内面に潜んでいる、画期的で非凡な才能が開花して、唯一無二の新しい未来を開くことだった。

だけどそれは、自分の全てを仕事に振り向けなければならない環境のため、忙殺され、全く手をつける気にもならなかった。

こうして予想通りというか、当たり前のように、いつものように、いろいろやったけどやっぱり未来は見えてこないまま来年を迎えようとしている。

でも、生きているだけで儲けもの。

なんとかかんとか生きているだけでも幸せと考えた方が良さそうだ。

しかし、でも、とにかくまだ1ヶ月あるのだから、希望と期待は薄っぺらい財布に折りたたんで放り込み、ときどき引っ張り出しては確認し、最後の最後まで、今年起こるであろう夢のような出来事を夢想するつもりである。

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