その時、神か悪魔か、心に閃いた「NikonZ6」を購入したわけ



謝らなければならないこと

ここで、今、謝らなければならないことが。

つい一年ほど前に手に入れ、あれほど興奮し、感嘆し、褒め称え、これぞ、我が人生の終着点であるとのたまった、脈略の無い賛美の言葉を散らかした。

創作物を自慢げにさらけ出しては、永遠にこの夢想に耽るつもりだった。自分の人生の中の稀有な勝利の日々だった。

これほど自分の体感と、感性と、現実が相思相愛の関係になったのは久方ぶりだった。



人は,変わり、裏切り、巡る

それなのに、人は変わるもの。いや、こうも意志薄弱で気分に左右される自分ならば必然的にこのような結果は、想定の中に収められる事実だった。

心地良さが慢性化した日。ふと思った。あともう少し新たな何かが必要だと。より広く表現の幅の扉を開く何かが。それはなんだろうか、レンズ、カメラ、別の何か?

そう、これはカメラとレンズ、写真の話だ。裏切りの物語だ。



新しい方向への模索

順当に考えれば、これほど完成という言葉が似つかわしいSONYα7IIとSIGMA45mmf2.8レンズの組み合わせに、もう一つ新たな表現の術を付け加えるなら、SIGMAのレンズを手に入れる、巷で有名なf2.8の小型軽量それでいて大三元レンズのような、

はたまた、ミラーレス機として、完成度が極まったα7IIIを手に入れて、α7IIの操作性の怪しさ、バッテリーの持ち時間、ピントの不確かさ、などなと一気に改善することもいいことだ。それに、α7IIIからはプロをも感嘆させる動画を撮ることが出来る。これから、静止画のみではなく、動画も重い腰を上げて取り組まなくてはならない、そのための投資として、これ以上ないほどの意味と価値がある。



悩まされる金と欲

が、ここで立ち塞がる二つの問題があった。

金と、欲。

この二つが、僕の判断と決意をあらぬ方向へ捻じ曲げ導いた。良かったのか、悪かったのかあずかり知らぬ場所へ。

まず、予算。かろうじて使うことができる手持ちの金銭は約10万。少しはそれに足し算できるのが何枚か。頭の中で札束を並べ、考えるに、手に入れることが出来るのは、歯がゆいかなどちらか一方。

レンズかカメラか。

SIGMAの大三元を新品で購入するか、中古のα7IIIを購入するのか。レンズを購入したとしても、カメラは今のまま、逆も然り。当たり前の事実。

僕の気弱な常識的心は、「噂では静止画ならばIIもIIIも大した差はない。高価なカメラを買い換えるよりも、現実的選択として、レンズを新調し新しい写真の世界に進めばいい」と言う。

が、もう一方で、「レンズを変えたところで、今のさほど美しいとは言えない外枠の状態や、不用意に設定が変更される操作系のお粗末さ、基本的機能の物足りなさは拭えない。この際、カメラ自体を一歩先へ進めてはいいじゃないだろうか?」と、少し強気の変更派がのたまう。

しかし、どうにも踏ん切りがつかない。



会議は踊る、頭の中で延々と

何せカメラを変えたところで、レンズは同じなのだから、出てくる写真は変わり映えしない。それに、静止画ならばなおさらだ。それに、やっぱり、どうにもこうにもα7IIIは、まだまだ高い。

α7 IVが近々出るから、それが巷に出回れば、中古価格も崩れるやもしれんと、淡い期待をしたが、一向に日本では出回る気配はない。そこで、今の中古の市場を眺めるに、ジリジリ下がってはいるが、角やグリップがかなりひどい状態の並品でなんとか16万。これでは、手を出すのが躊躇される。

そんなこんなで、どちらにするべきかと悩んでいる最中。あることに気がついた。

値段が安く、性能も高い、世の中にはおめでたいカメラがある

値そこそこ安く、それでいて性能が高い。そんな、おめでたいカメラとレンズが世の中にあることに。誰からも見向きもされずひっそりと。



カメラ世界の”あぷらこ”

昔、遊び仲間の中で”あぷらこ”と言われる子供がいた。

それは、いてもいない存在。ある遊びの中に加わる能力がない子供、そこにいて、騒いではいるのだけど、取り敢えずはいさせているだけで、遊びの枠には入れることはしない。それ以前に存在を誰もが頭数には入れることはしない。

だいたいは、かなり年下の子だったり、多少、判断能力が低い子だったり。完全に排除するのは心引けるので、とりあえず居させて、満足させ、自分たちを邪魔させないようにする。それぞれが、それなりに満足する相互関係を結んでいた。

カメラ世界の”あぷらこ”それが、Nikonだった。

遊びの中に含まれず、いてもいないような存在をになっていた。ミラーレス機の波に乗れず、動画の比重が重くなってきている世相から遠のき、新興のカメラメーカーに性能はともかく、知名度で言えば壊滅的に遅れをとった。

プログを読んでも、YouTubeを見ても出てくるのは、SONYαの絶対的な正当性と未来性。時折、熱狂的なキヤノン党の絶叫。そして、地味ながら着々と基礎固めをしている、フジやオリンパス。独自の道を突き進んでいつつ、SONYと蜜月の関係を結んでいるSIGMA。あゝ、それに、ユーチューバー御用達のPanasonicなんてのもある。正直、Nikonは知名度でPanasonicすら、追い抜かれている状態。悲しいことに。

確かに、ぎりぎりになって、年寄りの散歩のように鈍く腰を上げ、重い足取りでミラーレス機を発表したが、一瞬の話題こそあったが、他のメーカーへの歓声でかき消されてしまった。

チラチラと聞き及ぶのは、厳しい経営状況。継続の不透明さがニュースを汚す程度。

静かにこのまま、消えていくのだろうなあ。なんて、元Nikon党の僕すら、華やかなSONYへ心を移し、α7IIを手に取った。



Nikonへの確かな声が聞こえてきた

それが、カメラかレンズか決めの一手が打てずに、悶々としていた数ヶ月のうち、あれだけかき消されていた、Nikonの名を聞くようになる。誰もが、避けて口にすらしなかった、Nikonを。

それも、評判が芳しくないと思われていたZ6とZ7 の名を。

YouTubeでカメラ関係の動画を探している時、無数のSONYやCanonの賞賛のYouTubeの中、ひょっこりとNikonZがわずかながら現れるようになった。

そして気がつけば、次々日増しに増えてきたNikonZを称賛する声を聞くことになった。

いったい、今更なんのことを話しているのだろうかと訝しく、確認してみた。そこには、恐ろしいほど値段が下落し、今や、十万ちょいで買うことが出来るZ6が紹介されていた。

それだけなら、誰もが見向きもしない。しかし、それほど価格が落ち、ミラーレスの中でも破格の価格ながら、Nikonらしい堅牢性と堅実な操作性。余計な配色を排除した、真摯な描写にNikonらしい誠実さがあるカメラだった。

また、付属のキットレンズは、驚くほどに精細で色鮮やかな写りをする。ましてや、それが中古市場で5万ほど。この価格と性能、圧倒的なコストパフォーマンスである。



その時、神か悪魔か、心に閃いた

元はNikon党の血が騒ぎ、調べてみると、10万ちょいとは行かないまでも、そこそこの良品が14万ぐらい。写真を見る限りでは、ギズやスレはない。レンズの方も、キットレンズで元は10万以上が5〜6万程度。

その時、神か悪魔か、心に閃いた。Nikonでも良いのでは?と。

急ぎ、現実物を確かめんと、家電量販店に行き、手に取った。

謝らなければならないことがある、心変わりを

そう、謝らなければならないのは、僕のこの心変わり。あれほど、SONYとSIGMAの組み合わせを、自信に満ちて称賛していたのに。

今、僕の手にはNikonZ6と24-70f4小三元のズームキットレンズが収まっている。もちろん、双方中古品を購入した。あれこれ調べそれなりの良品を選んだ。

外観は美しく、操作は問題はない。これから愛機として写真を撮って行きたい。ただ、α7IIと単焦点のSIGMAに比べ、重さも大きさも増してしまうから、少しの覚悟は必要となる。それがいつまで続くのやら、それが少々不安な今。

そのうち、嫌気がさして軽くて小さいα7に戻ってしまうやもしれない。それか、SIGMAのfpか?買ったばっかりなのに、そんな、不吉なことは考えるのはよそう。

さて、写りだけど、評判通りこれがキットレンズか?と、疑うほどの嬉しい描写をする。これだけで、お腹一杯大満足だ。

そして、節操もなく、ズームでこれだけの描写を得られるのなら,質の良い単焦点レンズも、俄然、欲しくなってしまった。なにせ、スナップが撮影の中心だから、軽く、取り回しの楽な単焦点は必須。密かに次のレンズを妄想している日々である。

悲しいかな、最終到着地点はまだまだ先のようだ。

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