同じ写真機で撮ったのに、ここまで”写圧”が噴き出すのかと驚いた日

今日は何を書くか

さて、今日は何を書こうか。

せっかくの休み、せっかくの時間。無駄に過ごしてしまっては、もったいない。と、言いつつも今日も一日家で、映画を見たり、本を読んだり、のんびりと言えば耳に優しいが、だらだら過ごしていた。

どうも、この子供の頃から、こんな調子で有限な時間の、有意義な使い方がどうにも下手である。

生活の中のささやかな芸術を

せめて、そんな日常から、一つでも、二つでも感じた、考えたことを捻り出しては、書いてみようとこうして「凡庸雑記」なるものを始めたが、思うほど日々の出来事を文章に昇華させるほどの、感受性が無く、毎日、気がついたら気になっているカメラや、写真、それと映画やアニメのことばかり書いている。

もっと、”生活”の中から、ささやかで、細やかな見過ごされてしまいやすい、心の機微や、人生へ問いかけを書くつもりでいたのにと、反省している。

やっぱり今日も写真ネタ

で、やっぱり今日も写真の事を、それも、過去の話を書いてみる。(年寄りっぽく、昔はこうだったああだったなんて、死んでも書かないと誓っていたのに、今を見つめる目が薄らボケていると、どうしても昔の出来事が明細度が高く、色彩が強い。悲しいかな)

昔、梅田で

昔、大阪に住んでいた時に、梅田と言う場所に、ニコンのショールームがあった。仕事や、私用で梅田に行くと、必ず立ち寄ってはカメラをいじったり、カタログをいただいたりしていた。

ショールームには、フォトギャラリーが併設されており、いつも自然と足を踏み入れ、何気なくふらふらと一周して、展示された写真を眺めては、うまいもんだと軽く感じて、そそくさと出ていた。

写圧に打ちのめされて

が、その時は違った。

入って展示されている写真を見渡すと、いつもと何か違う。展示されている写真どれもに、強い存在感があった。

写真を趣味としていて言うのも何だが、絵画みたく個人の筆さばきでどうのこうの変わる訳ではない、写真機で目の前の対象を写しているだけだ。絵画みたく情念とか信念とか抽象的な表現は、とても乗りづらいのではないだろうかと、思っていた。

が、目の前にある写真たちは、一気に気持ちを惹きつける圧力があった。写真の圧力、”写圧”が噴き出していた。

一体どんな人が写しているのだろうと、近寄り撮影者を確認すると、それぞれ名を聞いたことのある、有名な撮影者たちだった。確か、その中に荒木経惟氏もいたのを覚えている。

同じ写真機で撮ってもこうまでも芸術としての存在感を生むとこが出来るのかと、これが、初めて写真を見、”感動”した時だった。

なんか、不十分だけど何とか今日も書くことが出来た。よかった、よかった。おしまい。


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