凡庸雑記「コダクロームの色」





コダクロームの赤

また、昔の話だけどコダクロームの色が好きだった。

コクのある深く渋い色合い、特にコダクロームの赤が印象的で、赤というよりも紅と表現した方が正しいその色に、心が惹かれていた。

この特徴ある発色は「外式」という現像方式のおかげだった。特殊な方式で、詳しくは分からないが、発色現像中に発色を加える(正しくはないがこんなものか?)方式で、かなり手間がかかった。

堀内カラーという、業界では有名な現像所に、コダクロームを現像に出すと、仕上がるまで富士フィルムのリバーサルフィルムより時間がかかったのを覚えている。





圧倒的なベルビア

ただ、一部で根強い人気はあったが、主流はなんといっても富士フィルムのベルビア。

キヤノンのEOSと大三元レンズ、それとベルビアの組み合わせは、それこそ無敵の存在だった。

一目でわかる華やかな発色と、きめ細やかな描写、風景写真など目が痛くなるほどの美しさだった。特に、風景写真家の竹内敏信氏はこの組み合わせで、素晴らしい作品を多数生み出し、風景写真の世界に新しい方向を見出していた。

竹内氏は、自分の理想的な撮影スタイルがようやく、EOSとベルビアで叶った。正確ではないが、そんなことを語っていた。(と、思う。違うかも。)

当時は風景写真では掟破りの35mmフィルムカメラと大三元ズームの機動力を活かしきり、自由な撮影スタイルで、徹底的に対象を追い込んで撮影していた。そして、風景では力不足だと思われた35mmの写真を、満足いく作品として受け止めて、引き上げたのがベルビアの力だった。





絶対的な天邪鬼

どうしたって、綺麗にしか撮れないEOSとベルビア。これがあれば、世界中のカメラは必要ない。なんて、思いたくはないが、プロが商品として写真を顧客に提供するために、誰にでも確実に分からせる、絶対的な美しさがあった。(今でもキヤノンの発色は特別だと使うプロがとても多い。)

で、天邪鬼な僕はそれをみながら、決してベルビアは使うまいと、頑なに拒否していた。

あの誰が撮っても綺麗にしか写らんやろうと、幻想を抱かせる流行りのフィルムなど、この、世の中から放っておかれたような人生を生きている人間にとっては、全くもって、明るすぎる。

それだから、世の中の華やかな色彩全てを、一段か二段引っ張り落としたような、コダクロームの存在を、愛したのだった。

愛用のNikonFM2にコダクローム64を放り込み、なけなしの金で買った35mmと85mmを付けて、今と相変わらず、特別どこにいくでもなく、街に出てはふらふらと写真を撮っていた。





消えてもなお心の中に

華やかなベルビアに屈しない、コダクロームの精細で現実を湾曲し色濃く彩る絵を、愛し理解できる、違いのわかる男だなあと、悦に浸っていた。

悲しいかな、コダクロームは世の中から消えた。

でも、今でも、心の中にあの鈍く濃く光る紅の色は残っているのだ。そのせいだろうか。ついついアンダーでコントラストを高めに、そして、精細を強くした写真を撮ってしまう。

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