凡庸雑記「癖」悪癖やら良癖色々あるが、写真機も癖で選んでも。

NikonZ6を手に取って

現在、写真機はNikonのZ6を使っている。今更ながら、Nikonなんてと思いながら、ほんのひと時SONYα7IIを手に入れて、これでいよいよオサパラして、新しい扉を開くだろう。と、思ったのも束の間、なんだか結局Nikonに舞い戻ってしまった。

決して、α7IIとSIGMAの45mmの写りが悪かったわけではなく、それどころか、独特の立体感はとても魅力的で、35mmの素晴らしさを教えてくれた貴重な写真機だった。

順当に行けば、そのままSONYやSIGMAを増設していけばよかったものの、一体全体どうししてまたNikonだったのだろうか。自分でも情けなくなる。一向に新しい扉ないて、古びた人間には到底無理な話だったのだろう。

理由は「癖」としか

高い基準の写真機としての質。それなのに、SONYやOLYMPUS、Canon等々ミラーレス全盛の世間から冷淡な目で見られていたおかげで、比較的に手頃な値段。色々選んだ理由は思いつくが、結局は自分の「癖」で選んでしまったと言うところが、真実だと思う。

真っ当で、内容ある理知的で論理的な選択ではなく、僕のような堅苦しく、無様なこだわりで凝り固まったおっさんには、どうにもこうにも、Nikonがしっくりきてしまう。

ほんとに、なんでNikonなんだ。困ったことに。別に困る必要はないか。

ここで言おう「写真機癖」と

「癖」くせ、悪癖、性癖、物癖、良癖等々癖をつければありとあらゆるものが許されると思っていいのかと、世間は騒ぎ、呆れ納得する。そして、兎にも角にもこれぞ「写真機癖」なのだ。(どうも変な言い回し)

華やかなCanonではなく、洗練されたSONYでもない、それだと、なんだか気恥ずかしくて、手に余る。ちょいと地味で、融通の利かないし、人目に付きづらいが、付き合ってみると頼もしいNikonが、やっぱり肩を組むのにちょうど良い。

今の世の中、iPhoneでも驚くほどの美しさを残せるのだから、日本で作られているありとあらゆる写真機。手に取りさえすれば、ほぼ間違いなく人様に顔向けできる、見事な写真を残すことができる。

本当に、分け隔てなく。

選択なんて必要ない「癖」でいい

そうなのだから、もう選択の基準は「癖」いいのかも。今こそメーカーで争い合うことのない、なんとなくでいい、平和な写真機世界が訪れているのだ。

なんたって、何を選んでも機能的には些細な優劣しかないのだから。人によっては絶対的に違うと、怒り出すかも。きっと。

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