凡庸雑記「忙殺」やっぱり忙しくて、情けなくて、書けなくて

最近、やっぱり、忙しくなってしまった。今年はゆっくりじっくり生きていきたいと、一年の抱負を胸の中にしっかりと秘めたのに、やっぱり、日々「忙殺」される貧乏父さんだ。

忙しさの中で妙に、昔読んだ「金持ち父さん・貧乏父さん」を思い出す。内容はすっかり忘れたが、金持ちは働かなくていいオーナーになり、貧乏父さんは日々あくせくと働く従業員まま。

なんて、身もふたも、希望も何も、全くないことを確か書いていたような。

なるほどなあと思いながら、なかなかそうは生きていけないもどかしさと、情けなさが、じんじんと心に響いてしまう。

はっきり言って、そりゃそうだろうなあ。人を使って、金を動かして、あくせくせずにその時間で、お金をまた産む知恵を得て、人と余裕のある真っ当な愛を育む。

綺麗じゃないか、豊かじゃないか。それこそ金持ちなんたらじゃないか。

そんな人って、身の回りにもいたりするが、やっぱり自分とは違う。そう、すっぱり、スッキリ諦めの境地。人とは違う、僕とは違う、成分が体内に入っているとしか考えられない。

で、それとは真逆な日々、今日の全き日曜日にも休まず働いている、清く美しくもない、金持ち父さん語るところの、人生に工夫も創造もない人生を生きている貧乏なんちゃらそのものだと、思い知る。

で、これ以上忙しくなると、また、書けなるなあ。

昨年はあんまりにも忙しくて、仕事で頭がフリーズして、一歩も書けやしなかった。書く気にもならなかった、そのリソースを集中と選択して、仕事に割り振るしかなかった。

もうちょいと、なんとかならんか我が人生。せめて、ちょくちょくちまちまなんかを書いたり、撮ったり、そんな偉大な創造的行為を行える、心身ともの余裕が欲しい。願う、切に。できれば良き仕事と、お金も。

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