凡庸雑記「竹内敏信氏」※ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

何気なく楽天マガジンで「キャパ」これ、学生の時からやっている初心者向けカメラ雑誌なんだけど、ペラペラと言うのが正しいのか、iPadで読んでいたら、雑誌の最後の方にあるニュース記事の中にこんな題目を発見して、驚きというか、時代の流れをしみじみ実感してしまった。

それはというと、

「風景写真家の竹内敏信さん死去」

今年の2月27日に亡くなられ。享年78歳。確か車椅子に乗りながら撮影している写真を見たことがあるから、かなり体調がお悪るく、記事でもかねてより闘病中と書かれていた。

写真や写真機は大好きなのだけど、数えるほどしか写真家を知らない。基本的な写真好きが通る道を通っていないからだ。

田舎の百姓の小倅で、身の割には文化的な背景を背負った人は皆無。その流れで、高校は不良だらけの工業高校。見事に文化部は廃棄されており、小洒落た写真部など、幻影だった。

そんな環境の中、数少ない写真への知識を得るために、せっせと読んでいたのが、先ほどの「キャパ」

竹内敏信氏はその中でメインを張っていて、作品と共に、写真技術や機器の紹介をしていた。

彼が語り撮る、精細で華やか、何より躍動感のある風景写真は、不確かな知識しかない写真好きもどきの青春の基本となった。

同氏が使っていたのが、Canonの EOS -1もちろん銀塩の。それに、大三元のズームとPLフィルターを組み合わせ、弾として富士フィルムのペルビアを使っていた。

当時、最先端の革新的な組み合わせで、問答無用に風景写真の常識を引き上げたと、思う。プロの目からみたら違うかもしれないけれど。

確か、当時まだ風景写真はハッセルなど中判カメラが主流。三脚にしっかり据えて、単焦点で構図を時間をかけて決めて、一枚必殺!で撮影していた。ただ、写真業界のことなど知る術がなかったので、そうなんじゃないかと思う。

その撮影方法に竹内氏は疑問符を投げかけていたと思う。定かではないけれど。

で、ここですんなりとカメラはCanon、フィルムはベルビアと進むのが一般ピィープー。人一倍天邪鬼な僕は、前にも書いたけどカメラはNikon、フィルムは意地になって渋いコダクロームを使っていたのだった。

でも、カメラは単にEOSが買えなかっただけで、本当は欲しいのだった。とにかくEOSは今でもいやになるほど高くていけやしない。

変な方向に流れてしまったけど、僕個人としてこの訃報を知り、一つの時代というか、歴史が終わったんだなあと、しみじみ思う。

そして、あの頃の青臭い写真への憧れと渇望を新鮮に思い出す。

風景写真の一世代を切り開いた、竹内敏信氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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