凡庸雑記「ドライブ・マイ・カーと好き嫌いとアカデミー賞」

創作こそ強固な身体が必要

最近体の具合がとても悪くて、しんどくて、色々と書きたいとこはあるのだけど、どうしても頭が働かず、書けずにグダグタ日々を過ごしている。

体力と創作は深い関係がある。確か、そんなことを村上春樹氏や何処かの作家も言っていた。小説家で自殺者が多いのも、体に創作が呑まれてしまうからだ。だから、村上春樹氏はひたすら走り、創作と体のバランスを取っているとかいないとか。

たかが指先を動かすだけの物書きだけど、侮るなかれ予想以上に体の影響を受けてしまう。

祝!アカデミー国際長編作品賞

話は戻り、今も、体はしんどいままだけど、ずっと書かないのは気が引ける。そんな些細な負債から、こうしてつらつら意味も目的もなく文章を綴っている。

そう言えばこの間、良かった感動したと誉めそやした「ドライブ・マイ・カー」が、見事、アカデミー賞の国際長編作品賞に輝いた。

映画の中に浸り切る心地良さを、何年かぶりに味わせてくれた、とても素晴らしい作品だった。だからこうして、世界で認められたことに素直に喜んでいる。

この作品、3時間という長い物語だったけど、個人的に相性がとても良く、苦もなく浸り切ることができた。

作品との相性はやっぱりどうしても絶対ある

作品に対する相性というか、感性というか、知性というか、人が良いと言ったとしても、芸能に一言ある人が数多く賞賛したとしても、どうしても響かない作品はある。

最近では、Netflixで配信されていた「パワー・オブ・ザ・ドック」を観たのだけど、如何にもこうにも入り込めず、観終わるまでに何度も中断し、最後は意地になって、ようやく観終える結果となった。

もちろん、評論家や映画人からは大変評価の高い作品なので、あくまでも個人的鑑賞癖に合わないだけなのは間違いない。

評価はあっても万人では無いのが世の常

「ドライブ・マイ・カー」にしても、色んな感想をネットでつまみながら見てみると、思いのほか評価が芳しくない、感じがする。

長い、つまらない、分からない等々、散見された。

間違いなく、万人に拍手喝采される作品ではないのは間違いない。それどころか、かなり人を選ぶのではないかと観ながら感じた。

台詞回しもある種癖があり、個人的に”村上春樹”っぽいところがある。

傷ついた感情の吐露を、多少理屈っぽく、ぎりぎりまで感情を排除した、一方的な思考のようなものを、詩のような言葉で表せられる。

人間臭い感情の突出を、演技の質と意味として感じる人には苦痛かもしれない

その辺の趣向は偏りが多々あるので、嫌味な人間味の欠けた物語と受け取る人も多いのではないだろうか。

創作を愛すればこそ平安な世界を守り育む

映画というか、創作作品全般は数字では表せられない良い部分の上に成り立っている。自ずと、人によって好き嫌いが大きく分かれる。

だから、それぞれが胸を張って、これは良い、好き!、う〜ん今ひとつ分からん、ちょっと嫌いかも、と、言える平安な世界を大切に守り育てるのが、創作を愛する人々の重要な使命なのだと思う。(偉そうに何を言う、僕自身も好きな作品をけなされるとすぐ、向っ腹を立ててしまうのに)

とっ言うことで、こんなことを書きながら落ち着いて考えるに、なんとか賞を取ったとらなかったなんて、気にする必要はないのかもしれない。自分の中で評価すればいいだけなのだから。

でも、やっぱり嬉しいアカデミー賞。正直なところ、映画好きとしてはね。

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