「浅田家!」を観た。このまま消えるのは惜しいと、お節介にも感想を。ついでに福岡写真続き

写真に多少興味がある人ならば、珍妙なコスプレ写真を脳裏に浮かべるはず。

消防士ややくざ、遊園地のヒーローなどなど、一般人の感覚からすれば一本線が確実にズレた家族の写真が、なんともいえん気持ちにさせてくれ、目が離せなくなる。

彼らの、主に写真家として、この家族写真を撮った次男を中心に描いている。

ご存知の通り、写真とカメラを趣味としている僕は、映画としての質と量は眼中になく、ほのかに憧れている写真家の生態を知りたく、見始めた。

所詮、主人公はアイドルだし、脇を固めるのも名のある俳優たちだから、確実に彼らの知名度で引っ張り込もうという魂胆がみえみえ。まあ、薄っぺらな写真家もどきならば、途中やめてしまっても悔いなし。と、お気楽極楽ふしだらな視聴者となった。

それがどうだ、家族としての形を作っている集まりならば、自然発生的に考えもなく、欲するままに撮ってしまう“家族写真”の価値をまざまざと見せつけられた。

久しぶりに映画で温かく泣かさた。

映画の前半は、撮影対象を見つけられずに写真家として鬱々としている主人公が、目の前の家族に素材としての価値を見つけ、それぞれの“夢”で加工して、見事で愉快な「家族写真」を撮るまでを描いている。

観ながら、心の中で謝ることになった。さすが、名のある腕のたつ演者たちだ、兎にも角にも演技にリズムがあって、絶妙な間で笑かしてくれる。関西人として(四国だけど)どうしても気になる、三重弁も悪くない。

写真集としてかなり話題になったから、撮影された写真は何度か目にしていて、その撮影風景が映画の中で、ダイナミックに繰り広げられ、もう、これだけでも、涙腺が緩んでしまった。

動きがない一瞬を捕まえた写真だけど、だからこそ、広く深く、生きてきた、生きている意味や価値を表現できる、そう、写真好きとしては嬉しく泣いた。

もうこれだけで、お腹いっぱいで、はい、この映画もうそろそろエンドロールが、なんて、残り時間を見ると、まだ半分も終わっていない。

これからどうすんねん!?

と、見続けると、写真を撮っただけで世にまだまだ出ていない。ここから、東京に出て本格的な写真家としての道を歩むって、ところになる。

スタジオで修行しつつ、撮影した家族の写真を出版社に売り込む。が、まったくナシノツブテ。訪問するが門前払い。面白いが、“家族写真”を見せられてもなあ。と、芸術として写真の価値は見出せないと話が終わる。

これには僕も言い返せない。目の前の家族をせっせと撮るが、それが、自身の才能を表現した写真にはなり得ないと、たかをくくっている。それはそれ、これはこれ。

だけど、こうして僕なんかのような写真好きの端くれでも、目にしたことがあるということは、きっかけがあり、育てられ、世の中に知れ渡った現実が。

映画では、恋人がスタジオを借りてくれ、それが弱小出版社の社長に目が留まり、写真集発表。だけど、まったく前代未聞の悪い売れ行き。ここで、消えゆくかと肩を落としたら、なんと「木村伊兵衛賞」

嘘のようなほんとの起死回生(ただし、映画なんで感動的に脚色している可能性あり)

で、これで終わりか?と、残り時間を再び見るに、なんとまだまだ残っている。

案の定、家族写真一本に絞り、日本中の家族を撮影するように。

写真機はあまり凝ったものでなく、ペンタックスの64で撮っている。もちろんフィルム。最新のフラッグシップのデジカメなんぞ使ってないし、凝ったライティングも皆無。もちろん、アシスタントもいない。(ただ、映画なんで事実は不明)

初めは写真を撮らず、家族のことを話をし、やりたいことや、たのしかったこと、夢や希望を丹念に聞いて、そこから、この家族にはこう撮るべしと、写真の企画を立てて絶妙に愉快に家族を象徴するような“家族写真”を撮る。

ある家庭の写真で、一枚の写真の表現力の重みを感じさせられ、本当に泣かされた。

動画が避けられない映像表現の一つにはなっているが、こんな一枚を見せられると、どうしたって、動画に手を出す余裕がなくなってしまう。こんなことじゃ、古いやつだと後ろ指を刺されてしまうのだけど。

さて、物語は個人的には予想の範囲から離れ、311の東北大震災。

ここで、写真復旧のボランティアに関わることになり、“家族写真”へ深く関わることに。これまた予想を超えて、かなり重い話にはなっていく。

震災で大切な人を失った人々が、唯一、生きた存在を証明することができるのは、写真。

写真を創作の術として取り扱う者として、どうしても軽んじられてしまう、目の前の人々の日常だけど、それが、眩しい輝きを持つ価値があるという意味を教えてくれる。

観ながら、創作や創造、価値や美術などなど、それらはいったいなんだろうかと、足らぬ頭で考えさせられた。まあ、そんなことを考えずとも、最後の最後まで笑かしてくれる。おもろく楽しく、ほろりと泣かせるおもろい映画として、心の写真機に収めたのだった。

なんや、アホみたいな、陳腐な表現やな。

それにしても、最近は重くて嵩張るのが面倒でNikon Z6をあんまり持ち歩かなくなってしまった。少し前は興奮して、傍にはいつもだったのに、反省。でも、この映画の主人公。いつもはまったくカメラを持っていなかった。

カメラや写真が好きというよりも、アイデアや企画を立て表現するための道具として、カメラや写真があった。みたいな感じがした。映画だからその辺は事実か否かわからんけど。

世の中で、スルーされるだろう映画だけど、本当に良かった。このまま消えるのはほんと勿体無い。

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