凡庸雑記「在宅勤務」※未来の仕事の希望か妄想か

コロナになってから、在宅勤務をしているけれど、本当に快適でこのままずっと続けたいと正直思う。

個人的に、人の気配が身の回りに全く無いと、とても集中でき、気持ちよく仕事が進む。

どうも、周りに人がいると気が散ってしまう性分だ。隣の席でつくため息を聞いては、こいつは人に大変さを慰めて欲しくて無様にあからさまにため息をついているな。とか、目の前の多動症の天才技術者が、訳もなく手を上に上げてひらひらと阿波踊りの如くはためかせいるのを見たくもないのみ見てしまい、また訳のわからん考え事をしている。と、呆れ返ったり。

斜め前の上司と、新人の女性社員が、コソコソ話しているのを小耳に挟んでは、勝手にやりたいことを二人で決めている。と、苛立ったり。

兎にも角にも、気が小さく、気が散りやすい。

こんなことだから、意外と会社というか、人に囲まれている中では、ほとほと疲れてしまう。仕事をしているのやら、世間の荒波に揉まれているのやら、人生を彷徨っているのやら、ようわからん世界である。

もちろんこれが世のため人のために正しい行いなのかは分からない。

絶対的に、どんなことがあっても、人が集まって、物事を進めなければならない。そんな真っ当な考えが世なのかには根強くある。そして、それは長い間人を組織を成功に導いた実績もある。

いっとき、ネットワーク環境が整い、どこでもMac一つで(もちろんPCでも)仕事のネタを処理できるようになったし、コロナの影響で働き方を根本的に変えようと、一気に盛り上がった。

これで、一人で、気楽に、人の吐息を気にせず、仕事や創作ありとあらゆることを孤独だけを友として、行えるようになるのかと期待したのだけど、やっぱり、世界はバネのように力強くもとの方向へ跳ね戻り、やはり人は人と共に生きねば何事も始まらないと、世界(そう最先端の世界的企業が率先し)が一斉に集まり始めた。

これを見るに、人と離れて何事も終わらせたい、人と関わらず終始一貫済ませたい。こんな思いを心に抱く、この僕は世の中の端に位置する恥なのだろうと、つくづく思うのだった。

味もするようになったし、咳も無くなった。もちろん熱は出ていない。ただ、少々の鼻水と、圧倒的な虚脱感はまだまだ続いていて、ちっと辛い。

それと、集中して頭をフル回転し、仕事をしていると首筋がみょうに痛くなるのが、変な血管が切れそうで不安。

さて、いつまでも在宅勤務はできないので、明後日ぐらいは会社に出なくては。

一時期、在宅勤務は未来の仕事の希望かと騒いでいたけど、単なる妄想だったのか。個人的には希望だったらいいのになあと思うばかりである。

ちなみに京都の続きの写真も載せました。

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