凡庸“映画”雑記「西部戦線異状なし」

Netflixに名作なし?

Netflixにいい映画は無い。そんな、思い上がりで観始めたら、これがなかなかのものだった。

「西部戦線異状なし」と言う映画。かなり古い小説の映画だから名前は知っていたが、中身は知らなかった。

基礎知識を知らずに観て、ドイツ映画だったことに至極驚いた。

映画の中のドイツやドイツ人は、邪悪な敵役がほとんど。ハリウッドに囲い込まれ、それ以外の記憶は無い。

だから、身勝手な思い込みと無知のせいで、ドイツ映画はかなり厳しく寂しい状況で、正しく育み成長していないと思い込んでいた。

なんたって、観るまではこれはアメリカ制作の映画だと錯覚していたぐらいなのだから。ドイツ人をアメリカ人がやっている映画はけっこうある話だから。シンドラーとかなんとか。

それが、そんな僕の無知蒙昧を、殴り倒してしまいたいと懺悔するほど、濃厚で洗練された観る価値のある映画だった。

巧みな構図

とにかく、構図好きの僕にため息を出させるほど、高い映像的感性と、城壁の様に強固な知性で造られた構図は、ただ茫然と眺めるしかない。

そして、構図の巧みさをいっそう引き立たせているのは、光の描写。細部に行き渡った光の動かし方で、構図に生命が与えられ、意図された演技を行う。

監督の視点

それに呼応するように、音響が静かに息づいて、映画に心を溶け込ませる。

最終的に、創作者としての、明確な意図を持った客観性で、精密で堅牢な編集が行われ、完成となる。

久しぶりに、映像で監督の客観的かつ目的性のある視線を感じた。最近の映画では、ついぞ見なかったことだ。

驚くべき演者たち

驚くべきは役者の演技だ。

誰も彼もその場で現実に息付いているように、生々しく映画という架空で生きていた。

多くの人々が関わり、幾重にも喜怒哀楽を表しているのに、一片の緩みもなく、物語に永遠の苦しみを与えている。それほど、自からの役割を真摯に表している。

改めて思うが、ドイツ人、兵と言えば、罵詈雑言を喚き散らし、場の空気を瞬時に冷却させる、単純明解これに極めりの、多様性が破壊した演技しかできないものと、失礼ながら思っていた

その過ちを、ここで謝らなくてはならない。素晴らしい演技だった。

調度品の記憶

少し驚き、また、感心した場面がある。戦争の終結交渉ためのドイツの列車が実に見事だったのだ。

戦場とは関係ないが、交渉団列車の内装、調度品、衣服などが気品があり美しい。それに身を包んだ演者達もその中で永遠に生きてきたのではと思うほどの、自然さだった。

記憶に強く残るのは、夜中のガウンとスリッパの豪奢な色彩。そして、白く輝く食器と食品の優麗さ。自磁の器に載せられた玉子やパン、コーヒーのなんと美くしかったことか。

その美しさと優雅さが、余計血と泥の戦場を際立させた。

ヨ―ロッパの残像

ふと、ビスコンティのような往年のヨーロッパの輝きを思い出す。それは、今やかなり存在が怪しくなったヨーロッパ映画の、良くも悪くも貴族と労働者から産まれた階級制が、敏感な感性で育まれ、社会的玉石混合の中、歪な美しさと豊かさを湛えた老齢な芸術性を築いた。そしてその残像かこの映画には見えた。それを感じ僕はほくそ笑んだ。嬉しくて。

フランスでも、イタリアでも、北欧でも、絶滅したそれが、予想もしないドイツで、濃厚に残りこうして一つの名作として息吹いているのだから、不思議な気分になる。

巧みに折合された物語

主人公達の人生を“最後”まで描く脚本は自ずと、微に入り細に入り長く、重くなるが、美しく印象的な場面と、いかにして撮影が叶ったのか感嘆しかないほど、激しく克明な戦闘場面が要所要所で挟み込まれるため、飽きもせず観ることができた。

ただ白状すると、むやみやたら長い作品だから、iPadではさすがに集中が切れ、何度か回数を分けて観てしまった。

逆に見れば、それだけぶつぶつ切り分けながら観ていても、これだけ感銘を受けさせるのは、良き映画と言うことだ。

前情報無しに、適当に観始めたら、素敵な宝物だった。犬も歩けば棒に当たるじゃないが、Netflixも観ちらかせば、時に名作に当たるってところだろうか。

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