Her

「her」を観た。
前から観たかった映画だ。
正月の深夜に眠れないので、少しだけと見始めたら、
止まらなくなり、最後まで観てしまった。

監督の持つ、世界観に一気に引き込まれ、台詞の
美しさに酔った。

言葉の重なりで物語が進み、それが、しっかりとした
ストーリーで流れていく、一つ一つの場面が繊細で
美しく、孤独で寂しく、それでいて微かな希望に着地
する。

本当にいい映画だ。

近未来の世界で、人口知能が発展し、このように言葉を
交わすことが出来れば、幸せなのか、不幸なのかそれは
判らない。

人は変化して、自分の事を自然に、知らずに、優先して
語り合う。この映画でも、愛し合っていた普遍の対が、
片方の変化で愛が憎しみに変わり、哀れに消えていく。

これは仕方が無いことかも知れない。それに、現実は
もどかしく、自分を思いやって言葉をかけてはくれな
い。誰かと生きるということは、そんなことだ。

いついかなる時でも、思いやりの言葉をかけてくれる
のは、肉親しかいない。それも、かなり思いやりにあ
ふれた希有の親しかしない。

その垣根から飛び越え、自分の思いとは違う、思いと
生きていくことが、社会の中で生きることである。

それが生きられないならば、世の中では不自由なこと
ばかりだ。

たが、サービスを与えるために製造された、AIは言葉
の高低、心拍数の強弱、発汗の具合、脳波の形などを
繊細に微妙に察知して、何万というビックデータの中
から、最適な思いやる言葉をかけてくれる。

生きることが、他人との交わりが、言葉の明確さが
苦手な人間には、AIに愛(AI)することは必然である。

そしたら、本人は幸せに違いない。だけど、どうなの
か?疑問も残る。でも、遠い存在しか自分のまわりに
いないのなら、一つの過程として必要になるかもしれ
ない。

そう言えば、ホーキング博士が人工知能のリスクを
警告しているとの記事があった。やはり、歯を食いし
ばっても孤独をAIと分かちあってはいけないのかも
しれない。

なんだか、人の生き方やら、未来の人工知能やら、
いろいろ考えさせられた。

なお、映画ではスカーレット・ヨハンソンがAIの声
をやっていたのだけど、吹き替えはあの林原めぐみ
だった。実は、どうしても林原めぐみ版を観たくて
吹き替え版を観た。

会話が重要な映画だったし、林原の声が素敵だった
ので、吹き替え版が胸に迫った気がした。もちろん
後からスカーレット・ヨハンソン版も観たのだけど、
感情をあらわにする言葉には彼女の方が良かった。

単調なさほど大きな事件も無い、一人の男の心の
彷徨いを、会話で描いているだけなのに、こうまでも
身につまされるのは、ほんと素晴らしい。

音楽もわすれてはいけない。カメラも。隅々が一つ
に物語りの色調に合わされて、かけがえのない存在
になっている。

この監督の繊細で、明確な演出のおかげだろう。
全くの嘘物語なのだけど、それに真実を上手い具合に
織り込んでくる。絵空事を真剣に真実として描く、こ
の監督の思い切りのいい演出は好きだ。

最後の落としどころも何とも言えず、うっすらとした
人と人との関係への希望も描いて、それが、出しゃば
らず、心地よく、いい塩梅だった。

とっても、うれしい時間を過ごせた。心からの感謝
しかない。そんな、映画だ。