世の中には不思議な人もいるものだ。この間、ある友人と話していたら、休日はどう過ごすのか、となった。 彼は単身赴任で、休日は一人の時間を満喫できる。そこで、僕はこう言ってやった。一人の休日なんてなんともうらやましい。自由な時間を満喫できる君が羨ましいと。
が、彼は「とんでもない一人の休日は実に耐えがたく、休日こそ人と交わりたい」と、言い返した。 もう少し詳しく聞くと、今の仕事が原因らしい。毎日事務所にこもり、ひたすら図面を書いたり、書類を作成したりしている。ほとんど人と会話しない。
彼は人好きする人間だから、そんな環境はとても苦痛のようだ。
ひるがえって、このぼくと言えば、そんな環境が実に羨ましい。毎日、決まった仕事が有り、ただ、それを人に気兼ねなく出来る。なんとも羨ましい。回りの人たちの思惑に左右されず、自分で動きと流れを決めることができるのだ。ぼくはどうしても、人に自分の遮られるのが我慢できない人間である。だから、人と関わらない仕事を常々渇望している。
しかし、意外と逆の環境で仕事をしており、四六時中他人の思惑を受け止めて、動かないといけない。 骨の折れることである。それに、性分として他人が会話圏内にいると、人の気持ちに追随し、必要以上に自らを放棄てしまうことがある。心とは違う行動だったとしても、拒否するのも抵抗力がいるので、流されるままにしている。
だから、それから解放される一人の時は、実に軽やかな心持ちである。人と一緒にいて、心底安らぐことは数えることしか無いが、一人の時は人という束縛から解放され、安らげる確実な時間である。
もちろん気のあった人間との一時はとても楽しく、愛おしいものだと認めるが、その確実が非情に少ない。そして、不安定すぎる。利害や、感情の些細な触発で、人の気持ちは変化し、害をなす。そんなやっかいなものを調整しつつ、関係を続けるぐらいならば、一人でいる方が確実で、安定した幸福感に浸れる。
それにしても、そんな人間に、それも休日に、関わろうとする彼は、本当に変わった人間だ。他人の束縛から解放された、休みの時に、人と会おうとするだなんて。
でも、変わり者はぼくのほうか?
そんな彼と、今度、どこかで会おうという話になった。単身赴任で都内のワンルームマンションに住んでいる。そこで泊まらせてもらい、夜を徹して語り合う予定だ。実に面倒な話である。