風2013 07 22 1831 

  「風立ちぬ」されど我立たず

 

どうしても映画館で映画が観たくなります。最近はMacやiPadでほとんど映画を観ており、
その手軽さで週1本近く観ています。映画好きにはとても良い時代になったなあとも思う
のですが、映画館で映画を観ないことに物足りなさと、後ろめたさがあります。

映画好きと言うのならば映画館で観なくては、そんな呪縛がやはりあります。

土曜日、久しぶりに映画館に足を運びました。どうしても映画館の暗闇の中、何事にも気
を奪われず、じっくり映画を観たくなったからです。映画そのものを観るというよりも、
映画館に行くことを主とし、映画を従とするそんな体験をしにいったわけです。

観たのは宮崎駿の「風立ちぬ」。当初は「華麗なるギャッツビー」を観るつもりでしたが、
いかんせん上映本数が少なく、それに、夕方からの上映で時間を持て余し過ぎました。

丁度、「風立ちぬ」の公開日で、上映本数も多く、映画館に行った時、今まさに始まろう
としていました。迷うのも面倒だったので、そそくさと入館手続きをし、映画館へ潜り込
みました。 

正直、感想としては私自身は今ひとつ感情移入が出来ず、淡々と物語が進む中、置いてけ
ぼりをくらった気がした。「つまらない」と一言で片付けるのは簡単ですが、この映画を
作り上げた人たちの、“思い”に私ごときの感性では到底ついて行けなかったのです。

ただ、これはあくまでも私の感想で有り、この作品を特に最後のシーンを手放しで褒めて
いる方々も多数おります。だいたい、知的水準の高い、しっかりとした意思のある場合が
多い。

私自身、映画館で宮崎駿監督の作品を観て、すぐに、手放しに、感動したことは無く、
何度かの機会を得て、複数回観ることでやっとその良さがおぼろげに分かることばかりで
す。この作品も間違いなくそんな一作ではないか?そう、想定しています。

その根拠となる、記憶に残る良いと感じる部分を書き出して整理してみるのも一考かなと
思い、ここに書いてみます。

主人公と妻となる女性が出会うシーンで、重要な鍵となる出来事が起こります。「関東大震
災」なのですが、この描写が本当にすごい。自身の前の振動音が一瞬唸った直後、次々と
建物が崩れて、火を放つ。この辺の描写は手練手管の限りを尽くしています。

また、今回は大人向けとしたおかげで、女性がとても美しい。性的表現も盛り込んで、本
来の愛交わりが、幾重にも重なり悲恋の深みを増しています。特に、婚約を決め、病床の身
を押して、急場の結婚式をするシーンなど、鬼気迫る美しさと、切なさでした。宮崎監督が
こんな女性の描き方が出来るとは驚きです。 

仮住まいの部屋での二人の夫婦生活も素敵でした。夫婦生活といっても、病状が回復せず、
ほとんど寝たきりの妻が、傍らで仕事をする主人公に手を握ることで夫婦のつながりを持と
うとする愛らしさと、切なさは、感極まりよかった。

そして、最後。

零戦が完成し、仕事の山を越えたことを見届けて、自ら高原の病院に去る妻の、美しいこと!
宮崎監督がかなり意識したのでしょうか。まさに、「第三の男」のラストシーンとうり二つ
です。広いつばの帽子と、美しいコートが流麗な歩調で去って行く様は、これをラストにし
ても良かったのでは無いかとさえ思いました。

振り返るに、なんだか悲恋の方に心を奪われたようです。一方の、それも主となる零戦作成
に至る物語は、個人的には心がさほど動かされませんでした。宮崎監督の飛行機に対する、
“希望”や“夢”は感じたのですが、機械が知性と経験と組織によって組み立て行く手順が今ひと
つ具体性を持たないような気がしたのです。

もちろん、要所要所では飛行機の技術的表現はあるのですが、それが、流れとなって一つの
、つまり零戦への流れになっていないのでは無いかと感じました。「美しい飛行機を作りたい」
常々そう吐露する主人公の言葉が、まるで魔法のように響き、空中から飛行機が飛び出した
ような感覚を感じました。もしかしたら、物語の論理的構築は宮崎監督は不得手ではないの
かとさえいぶかったぐらいです。

それは、重要な転機に訪れる「夢」のシーンに象徴される気がします。

現実の物語がある程度のところに行くと、「夢」のシーンが盛り込まれ、主人公の夢や理想、
目標などが、純粋に語られます。それは、どこまでも希望に満ち、限りなく純粋に輝き、
人生の正当性をつかさどります。このシーンは重要なアイコンであり、このことで、主人公
の飛行機作成への根本的意味を表現しています。ただ、それ故現実的な部分がごっそり抜け
落ちて、従として従う形になっているのでは無いかと思うのです。

この映画が、これまでも素晴らしい場面で組み立てられているのに、その全体がどうしても
腑に落ちないのは、この「夢」のシーンゆえではないか。私としては、生活の機微から宮崎
監督なら十分に主人公の“思い”を表現できただろし、その方が、時代の中で翻弄される人々
の人生の骨格を強く明確に描けたのではないかと思います。

私自身は現実の世界の物語に意識が埋没しかけたとたん、この「夢」のおかげで、正直、
興ざめしました。宮崎監督故の必要不可欠な表現方法ですから、減らすことも、消すことも
出来なかったでしょう。そうしたなら、宮崎監督の宮崎監督としての意味が無くなる。

この、「夢」のシーンが心地よく受け入れられるか否かで、この作品の真価を理解し、
深い創作の核心へ進展していくかどうかが決まるのでしょう。私は、その入り口さえも立て
なかった。

「風立ちぬ」に対し、いろいろぶしつけに書いてしまいましたが、宮崎監督自身号泣され、
その他、著名な方々も賞賛を惜しまないこの映画。是非とも我が目でご覧になってください。
私の戯言など参考にせず。

それから、公開が延期した「かぐや姫」。この、予告編が流れました。筆で書いたような
絵作りで、なかなか好感が持てました。それに、とにかく動きがすごい。秋の公開が楽し
みです。 

 

 

 

photo:D7000thibas_DSC_1528

 

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