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iPad的、怠惰な文章作成術。

どうしても書けない時がある。まったく筆が進まないい書きたいと思えないのがとて辛い。集中して書く必要あるのに、今日もせっかく時間があるのに、こんな時に限って書くことができない。暇すぎると、いろんなことが頭に湧いて出て、結局は何もできないなんてことがある。今がそうだ。

対してできることはないので、一つだけでもやればいいのだが、それを選ぶのがとてもできそうもない。こうして、まったく無駄なことをひたすら書いて時間を無駄にしている。こんな時もあっていいと許せるのか、許せないのか。心の余裕というものなのか。それとも人生の浪費というものなのか。物事というのは、見方によってこうも違ってくる。おもろいもんだ。

今、Macを開いてこうして文章を書いているが、本当は布団の上に寝っ転がって、書くつもりだった。だけど、ブログライターの設定がうまい具合に行かなくて、結局諦め、そのままドラマをiPad miniでみ始めてしまい、書けなくなってしまった。

ひとしきり見たので体を布団から這い出し、Macを広げていそいそと書き始めた。

iPadの良さとは何だろう?

そう考えた。実のところそれは怠惰な姿勢でも、何らかの生産活動ができることだと思った。ほのかに香る怠惰感がいい。何たって、寝っ転がってでも文章が書ける。資料が読める。もちろんPCでもできるが、それは何だか罪悪感を伴う。しかし、iPadは本来、スティーブ・ジョブズがカウチに座りながら、怠惰に休日を過ごすために作ったものである。だから、罪悪感は生まれないし、そもそれそれが本来のiPadを使う姿勢なのだ。

最近は、iPadに機能を求めているが、本当の素晴らしさはそこではなくて、怠惰さの中に勤勉な創造を組み入れたところである。怠惰なのに、仕事もできるかもしれないところがいいのだ。

今度、iPadProか出たが、これこそ究極の寝転がり仕事ツールに違いない。なんて、買ってもいないのに勝手なことをいうものだ。暇つぶして、文章を書くと本当にこうして気の抜けたことを書いてしまうのが、iPad的でいいかも。

 








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