簡単でも、少しでも、読んだ本は文章にして人に伝えたほうがいい。そんなことを聞いたらか。今、書いている。

この間、夏目漱石の「草枕」をKindleで読み切った。

語学力の貧困な僕にはかなり骨の折れるものだったが、判らなくとも、理解できなくとも、文章の流れが心地よく、そのままなすがままに思考の清流に流されて溺れてしまった。

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冒頭から延々と主人公たる絵描もどきの、独白が続く。これが、かなり入れ込んで、ややこしい。それでいて世のなかを上手く泳げず、溺れ掛けている人情深さを感じざるをえず、心情で同情理解してしまう。

何せ、世知辛い世の中の下世話さに、もやもやした抵抗感を強く持ちながらも、それに贖うこととができず、ただ、転がされている非力な心根たる存在を、こうまでも見事に表現するのは並大抵の理解力がないとできない。

それを、膨大な独白たる台詞で、汲めども汲めども書き綴る漱石の脳髄はいかなる狂気を宿したものやら。彼が、英国に留学していた時、ノイローゼになったと聞く。これだけ、痛痛しく繊細に内外の環境を受け止めて、それから、あまり良からぬ感受してしまう性質ならば、致し方ない。

斜めに世の中を眺めつつ、それでいて、俗世から縁切りがたい、そんな、脆弱な精神が、現世と浮世の間で生きる芸術家にとって、最高の苦悩と、最適な結果を生んでいるんだと、よくよく理解した。

さて、この小説の極みは、主人公たる絵描のセンチメンタルな独白ではない。

なんといっても、妖艶で気まぐれな女性だ。

一見、夏目漱石の作品からは、そのような女性は生まれでないと思ってします。しかしながら、彼の作品には、周りの人間をぐるぐると引き摺り回し、翻弄という縄目で愚弄する女性が出てくる。魔の女である。

この作品にも、そんな魅力的な悪女が出てくる。いっぺんに惚れた腫れたの思いに貫かれる。読者として、そんな感情に陥れられてしまったのは、まんまと作者の罠にはまってしまった嘲笑の的である。

逗留した宿の娘。それも、離縁して出戻ってきた狂人と噂されている女。その女性が、付かず離れず、しかし、永遠に感じるほど印象深く、目の前に現れる。

こうなれば、きっと、この女は画家を慕っている。よくいうツンデレ。アニメだと、連れないことを言いながら、粗野な態度をとりながら、それでいて恋慕の刃を突き立てるのだけど。

そこは、悲観論者の漱石だ。結局は、常に強気な霊気を捨てず、冷徹な美しさをたたえ、徹頭徹尾人を見下していたかの女に、憐憫の表情が浮かぶ。その相手は、絵描ではなく、今まさに遠く旅立つ元夫に対してだった。

心底、彼を愛していたのかもしれない。そんな、感傷に浸る。

もしかしたら、彼女が画家の周りにまとわりついたのは、行き場のない純潔たる愛情を、一時の邪悪な遊戯に浸して、慰めていたのかもしれない。

そうなると、絵描きは単なる添え物だったわけだ。ただ、彼としても、そう悪とは思っていない。なんたって、あれだけ書けなかった彼女が、やっと書けるようになったのだから。その憐憫の表情ゆえに。はなから、彼にも一時の愛情なるものは必要なかった。

必要だったのは、鉄壁の画題だけだった。と、妄想している。









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