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邪悪だと消すにはもったいない映画「帰って来たヒットラー」人はどうして彼に操られたのか。

↑この記事のネタ元です。


この間、「帰ってきたヒットラー」という映画を観ました。
小説はとても話題になったようですが、映画の方は単艦上映で、あっという間に上映が終わってしまいました。

それほど、いい評判も聞かなかったので、大した映画ではないだろうと駄目元で観たのですが、これが結構面白かった。というと、常識人からは非難を受けてしまうかもしれませんが、映画としてとても良くできていたという話です。

政治的、思想的な面での良いではなくて。

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日頃、ドイツ映画を観る機会はなくて、ほとんどアメリカ映画ばかり上映されています。ドイツ映画など、特別な作品以外は上映される機会がありません。数少ない観た作品も、第二次世界大戦中のナチスや、東ドイツのがらみの作品が多く、普通に今生きている人を描く作品はなかった。

それだから、ドイツの映画産業は大したことはないだろうと、たかをくくっていました。しかし、とんでもない過ちでした。演出にしても、演技にしても、しっかりしていて映画の本質がブレておらず、ドイツ気質を感じるかっちりとした作品でした。

内容はご存知の通り、現代にヒットラーが現れて、ブラックなコメディアンとして世の中から注目を受けて、あれよあれよと言う間に有名人になんってしまう物語です。

映画の途中で半ドキュメンタリーがあり、ヒットラーの姿で街に出て、インタビューをしています。普通のドイツ人の生の声が直接聞けて、とても興味深い。だけど、移民に対しての不信感や嫌悪感がかなりドイツ人の蔓延しているようで、映画に出てしまうのに本音をぶちまけています。

ヒットラーの役をやった人は、ドイツでも無名の舞台俳優らしいのですが、この人がとてもいい味を出しています。一切、妥協を許さない自信満々のヒットラーを演じていて、なりきり感が半端なく、感心しました。

物語では、その躊躇ない言動がブラックユーモアとして受け止められて、どんどん人気が出てきます。僕も内容はともかく、周りを気にしない直球の物言いに、爽快感すら覚えました。ちょっと危険な発言ですけど。

日本でもそうですが、暴言に近い持論を周りを気にせず、語る人にとても好感を持ちます。なんだかとても勇気のある人と尊敬に近い感情を持ってしまいます。周りの人に気を使って、言いたいことを胸の中に収めるのが、人の世界には絶対的に不可欠な要素ですから。

このまま、質の悪いブラックユーモアで、物語が終わりのだろうか。それじゃ、ヒットラーが英雄として、時代を変革した人間として、あの悪列な行動を抜きにしても、受け止めてしまうのだろうか。そう思っていました。

しかし、最後の最後で、常人を超えたヒットラーの冷酷さと、人を見る冷徹さが表現されて、今までの多少笑いも禁じ得なかった、状態を見事に覆します。

結果を見ずに、絶対的に揺るぎない存在に従ってしまう、人の思考のぎこちなさと、それを大衆の側に立ちつつ、彼らのせいにして操作する存在。

どうしたって、世の中が混迷し、誰かが変えていかなくてはならなくなると、絶対的な意思と、間違いを犯さないと自信を持てる対象が必要となります。人の世の中は。Appleだって、スティーブ・ジョブズが現れて、傍若無人にそして明確に方向を示したから、今があります。

危険だとわかっていても、そんな存在。絶対的に依存する対象が、あまりにも弱い私たちは必要とします。良くも悪くも。

でも、確かに必要な存在として、世の中は認め従うのだけど、本質を見極める知恵が我々大衆側も培っていかなくてはいけないのかなと思うのです。それはそれで面倒で厄介、そして過酷な自己鍛錬が必要なのですけど。

確かに、正常な社会に住む僕たちには、あまりにも非常識で顰蹙のタネになる映画で、決して拍手を送ることはできないのですが、一つの人が作る、それも打開の方法が不透明な問題を抱えている組織が、一個の意思で大きく変わっていく姿を見せてくれる、稀有な邪悪なよくできた映画だと、僕は思います。









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