IMac Pro 2017

好きなものは人を暖かくもすれば、冷酷にもしてしまう。Appleと僕の関係。

いやいや今日は書くことがない。と、言いますか気分が乗らない。本当にどうしたものやら。かの、村上春樹様は、気分では書かないとおっしゃる。Macの前に座れば、気分が乗ろうが乗らまいが、キーを叩く。

気分で左右されるぐらいで、必要な文書を書けないなんて言語道断なんでしょう。さすが、天下の大作家。考えることが、実に厳格。

そうして、こうして、その大作家の才能にあやかろうと、こうして気分も乗らないのに、キーを叩いている。さて、どうして今日は気分が乗らないのだろ。きっと、あのポッドキャストを聞いたからだ。そうそう、その通り。

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Appleが大好きで、MacBook Proに誇りを持ち、iPadやiPhoneまで手に入れて、大枚と時間を消化して日々それなりに満足して生きてきた。でも、今日聞いたそのポッドキャストはハードの性能を一向に変革させないAppleの現状を、叱咤していた。いや、それ以上に侮蔑していたのです。(これは大げさか?)

ノミの心臓を持ったこの私めは、案の定、炒まれなくなって途中で音声を切り、悶々として今日いちにちを過ごしてしまったのでした。めでたしめでたし。か?

諸行無常。どうしたって未来永劫に繁栄することはない。それが世の常です。だから、あれほど魅了した、世の中に雷鳴を轟かせたAppleにしても、その諸行無常のクサビからは抜け出ることは不可避。

そうは分かっているのであるけれど、どうしたって夢を見てしまいます。やっぱりいつまでもAppleは自己満足でもなんでも、使うことで優越感をプンプン発散させてくれるものでなくてはなりません。

それにしても、人は悲しい。哀れ。自分はこんな心の狭いものではなかったはず。いろんな多様なものに対して、寛容に、柔軟に、そうローマ人のごとく生きていたはずなのに。どうしたって、Appleのみしか、目線の先には無くなって、些細な不穏な意見が許せなくなってしまった。

こんなことを考えるに、人は好きなものなんて持たない方がいいのかしら。なんて、深刻に真剣に夢想する。好きなことがあると、幸せな存在になる。人が生きる上で好きが重要なことは間違いありません。好きなことを、頭の真ん中で思い浮かべると、ほっこり心が暖かくなります。生きているって楽しい!かな?なんて思えます。

だけど、その大切なものが、暖かければ暖かいほど、水にぶっかけられると無性に腹が立ってくる。もう、水をかけた人やものに対して、余計な無性な恨みが生まれてきます。幸せをあたえてくれるものが、人を暖かく豊かになり、優しさや、余裕を与えてくれるものが、ひっくり返って、他の意見を受け入れられない、矮小な気持ちを持つ残念な存在にしてしまいます。

こんなことって、僕とAppleの間柄だけでなくて、世界にはうようよ存在しています。宗教や思想なんてそうなんでしょう。恋人もそうかもしれません。人にはこれほど残酷な恨みを持っているのかと、言動で証明するなんてことは、あちらこちらに、気まぐれにつけたテレビの中に、そして、実際の世界の中にあるのです。

もう、この心の矮小ないびつな、残酷な性質から抜け出るには、Appleを捨ててしまうか。僕の心が今以上に高貴な形状に変化するしかありません。でも、どちらも全くできそうも無いので、出刃包丁を持ち出さない程度に、僕の好きなものをけなす存在を怒りつつ、恨みつつ、当分は生きていこうと思います。なんとも、身もふたもないお話で今日はおしまい。

 

 

 

 








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