今回のバイオレットエバーガーデンは凄かった。

手放しで素晴らしいとは言えない作品だった。だけど、今回は打ちのめされた。たかが、20分ぐらいの作品なのに、2時間の映画を堪能した感じだった。

このアニメを作った京都アニメーションの、覚悟と決意、それに圧倒的な自分たちの自信を感じる。

このように、愛情を徹して肯定する作品は最近少なくなった。それは、アニメだけでなく、映画でも小説でも。

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それが、人の中に陰日向と胸不覚にある愛情を、信じ抜いた肯定感のある演出を徹して行った。これがどれほどのものなのか、その価値を尊く受け止めた。

京都アニメーションの圧倒的な映像美は素晴らしいと思うが、写実的な作品をアニメに求めていない僕にとっては二の次三の次だ。現実そのものを限りなく忠実に、美しく描くことは素晴らしいことには違いない。

それでも、現実の風景や演技を限りなく忠実に描いたところで、実写の映画やドラマにはかなわない。それの二番煎じにしかならない。代替え品としての位置しか得られない。素晴らしい演技とありのままの現実の美しさと、感動には及ばない。そう、考えている。

それが、この作品では精細な表情と、克明な風景の描写に圧倒されている。そして、それを感動の高見まで上り詰めさせる、綿密な演出が深い感動を呼び起こす。

この作品をスティーブン・スピルバーグが監督して、一本の映画にして欲しいと、ふと、想った。

この作品に広がる、空中に漂いながら人一人を俯瞰して包み込む人生の愛情を描けるのは、かの監督しか知らない。普遍に人の命の周りに広がる愛情の肯定感を全盛期の彼は描き続けた。

今、人生をにがく苦しく描き、愛情の歪な亀裂を描くことが愛の本質と表現する証ことだと言われるようになった。しかし、時として圧倒的で絶対的な愛情の肯定が世界には必要になる。

そう、このアニメは思い出させてくれた。









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